梅谷皿山焼、全容解明へ 地元特産「保命酒」と深いつながり 広島

11月25日8時17分配信 産経新聞

 広島県福山市鞆町で幕末から昭和初期まで生産されていた焼き物、梅谷皿山焼(鞆焼)の調査解明に、陶磁器研究者や地元住民らが共同で乗り出している。主に特産の薬用酒「保命酒」の容器として使われた焼き物で、窯跡は中国地方では唯一、天井部分が残るなど、保存状態は良好。しかし、詳細な研究はこれまで行われておらず、荒れるにまかされていた。研究者らは、発掘調査なども行い、「地域遺産として活用していきたい」としている。

 保命酒は、幕末に開国を迫った米国・ペリー提督の供応にも用いられるなど、全国的にも知られる特産品となっていたが、それまでとっくりの容器として使われていた備前焼(岡山県)が一時衰退するなどしたことから、福山藩が慶応元(1865)年から独自で生産を始めた。

 とっくりのほか、鉢などを生産。備前焼の影響を受けたとみられ、特に保命酒の容器に使われた焼き物は素朴な味わいながら、七福神の布袋の像がデザインされるなど、工夫を凝らしている。

 しかし、昭和初期には廃れ、窯跡は鞆中心部に近い山林の中で放置。これまで本格的な調査は行われず、地元でも知る人は少なくなっていた。

 こうしたなか、鞆の文化遺産について調査を進めていた京都府京田辺市の東洋陶磁学会常任委員、鈴木重治さん(75)らが昨年、窯跡の存在を確認。岡山市の備前焼研究家、伊藤晃さん(64)らとともに今年6月から2年間を目標に、鞆焼の全容解明に向け調査を始めた。

 これまでの調査では、窯跡は約20メートルの煙道と11の焼成室が階段状に配置された連房式構造の登り窯であることが判明。焼成室の天井が残っていたほか、井戸や製作場跡なども確認され、「とも」と刻印された陶器などの破片も見つかった。

 調査チームでは「近世の窯跡で全体が目に見える形で残っているのは全国的にも非常に珍しい」と評価。鞆町にある保命酒の醸造販売元「太田家住宅」は国重要文化財に指定されていることから、重文への追加指定なども視野に調査を続けることにしている。

 調査にあたっている鈴木さんは「今でも特産品になっている保命酒との結びつきが強い焼き物であることから、住民や研究者、行政などと連携して、この歴史遺産を有効に活用していきたい」と話している。

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