階段の映像、真っ白な絵画…。とっぴな作品ばかりで、普通の絵画や彫刻はない。ニューヨーク在住のアーティスト、落合多武(たむ)(42)の展覧会が、東京都渋谷区神宮前のワタリウム美術館で開催されている。ユーモアと遊びにあふれ、美術の既成概念を軽やかに超えていく。(渋沢和彦)
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展覧会場の一角では、ビルの階段を登る映像が、10台のテレビモニターからひたすら流れる。10時間にも及ぶ作品で、タイトルは「地球上で一番高いところにマンハッタンで行くビデオ」(2009年)。階段はすべてニューヨーク・マンハッタンのビルで、エンパイアステートビルをはじめとする高層建築の階段を、作家自らがビデオカメラを持って登り、映像に残した。
登った建築は170棟で、その距離の合計は8844メートルにもなる。ヒマラヤ山脈のエベレストとほぼ同じ高さ。マンハッタンでの階段登りが、エベレスト登頂という幻想を呼び起こす。「ある日、マンハッタンのビルが山脈に見えた」という作者の思いから生まれた作品だ。
「猫彫刻」(2009年)と題した、一見ふざけた作品もある。かわいい猫の彫刻があるわけではない。テレビモニターから流れる15分の作品で、円い二つの穴が開いた板の抽象的な映像でほぼ占められている。穴は猫が通り抜けられるほどのサイズ。じっくり見ていると、ほんの数秒間、猫が穴を通り抜けたり、板の前を通ったりする。映像にはほとんど猫の気配はないが、見る人の記憶を呼び起こす。それゆえ作者は「幽霊彫刻」とも呼んでいる。絶妙でウイットの効いたタイトルの意味がのみ込めた。
「フェイク・サン」(2009年)という映像作品にも驚かされる。夕暮れの空にオレンジ色に光る太陽らしきものを映した5分の映像。ところが最後のシーンで突如、3つの明かりが出現。見る側はそこで太陽ではなく、街灯だとわかる。タイトルが意味するように「偽の太陽」というわけだ。作者によると、「夕方、イーストビレッジの街を歩いていたら、太陽のようなものが見えた」という。歩いていて、ふと出くわした光景が作品へと発展した。日常的な行為が、アートに化けていく。
ほかにもほとんど白く塗られ、どちらが南極で、どちらが北極かわからない絵画「北極点、南極点」(2010年)や、コスタリカのジャングルで迷った体験を生かし、熱帯雨林を鉛筆も紙も見ないで無意識的に描いた56点のドローイング(素描)などが、自在に展開する。
落合は1967(昭和42)年、横浜生まれ。93年にニューヨーク大学芸術学部大学院を修了。翌年、ニューヨークで個展を開催したあと、この地を拠点に活動している。
ワタリウム美術館の和多利恵津子学芸員は「軽やかでユーモアがあり楽しい」と作品の魅力を語る。
不況でなんとなく暗くなりがちな時代にあって、既成のアートの枠にはまらない元気な表現は、重い空気を一気に吹き飛ばしてくれる。8月8日まで(月曜休)。一般1000円。