終戦直後の宝塚歌劇団に9年間だけあった「男子部」の元研究生が稽古(けいこ)に通った宝塚音楽学校の旧校舎(現・宝塚文化創造館)で23日、元研究生4人が56年ぶりに集うトークイベント「宝塚男子部が集う~半世紀ぶりに“音楽学校”へ」が開かれた。
表舞台に立つことなく解散した“ヅカボーイ”が振り返る当時の思い出の数々に、約150人の参加者たちは笑ったり、時には涙を浮かべたりしながら聞き入った。
男子部は歌劇の創始者・小林一三氏の発案で1945年12月に創設。25人が在籍したが、ファンや女子生徒の強い反発で、54年3月に解散した。
イベントは男子部をテーマにした舞台「宝塚BOYS」の3回目の上演が8月から始まるのを前に、創造館の活用にもつながればと、市民グループ「宝塚文化を紹介する会」が企画。元研究生の永野喜也さん(78)(大阪市生野区)、福島亘さん(81)(神戸市中央区)、吉井孝明さん(81)(大阪市旭区)、鈴木繁男さん(78)(同)の4人が出席した。
トークは、元宝塚歌劇団娘役トップで、今回の「宝塚BOYS」にも出演する初風諄(じゅん)さんらとともに当時の写真をスライドで紹介しながら進行。永野さんは「猿飛佐助」のミュージカルで全長約3メートルの猿の着ぐるみに入り、舞台に登場したエピソードを披露。公演中に着ぐるみごと転倒した際には「宝塚の大ゴリラ倒れる」と報道されたと語った。
また、男子部解散が決まった時について、福島さんは「大劇場の大階段を下り、活躍する日を夢見ていたが、かなわず、落胆した」と回顧。その一方で「ほかの劇場でダンスを頑張っていくしかないと思い、踊りに明け暮れた人生の原点だった」と話した。
その後、俳優になった吉井さんは「男子部が解散したことで、世界でも珍しい女性だけという今の歌劇団があると思う」と語った。最後に、参加者全員で「すみれの花咲く頃」を合唱し、締めくくった。
鈴木さんは「校舎に足を踏み入れた瞬間、皆でコーラス練習に取り組んだ楽しい思い出がよみがえりました」と話していた。
(2010年5月24日09時58分 読売新聞)