11月15日17時1分配信 毎日新聞
◇小豆島の花崗岩と判明
江戸幕府による大阪城再建時、採石場のひとつとなった香川県土庄町小海地区にこのほど、青森県野辺地町の亀田道隆町長ら4人が訪れ、採石場や大坂城残石記念公園などを視察した。
徳川幕府による大坂城の再建時、土庄町小海の残石の一部が、石垣用に切り出されたが、石垣用に使われず青森県野辺地町の石畳として使われていることがわかった。石畳に使われた御影(みかげ)石が野辺地町周辺ではあまり見かけないことから、地元の自営業、江渡(えと)正樹さん(64)が興味を抱き石の“ふるさと探し”を18年をかけて調査、このほど判明した。
今年9月、採石場のひとつとなった小海の石材加工業、橋本昭一さん(73)らが、確認調査に野辺地町を訪れ、加工法から小海周辺の石であることを確認した。
野辺地町の石畳は明治時代、同町の中央通りに敷かれていたが、1936年ごろ、コンクリート舗装の工事で撤去され、現在は同町の愛宕公園、寺院、民家で階段など約200メートルの石畳として再利用されている。
地元ではあまり見かけない石が大量に残っていることから江渡さんは、大坂城や高松市、小豆島を訪ねた。その結果、御影石であることが分かり、昨年5月石片を持って小豆島を訪問。島内の石材関係者から「小海近くの山の花崗(こう)岩だ」ということが分かった。
小海地区は、豊前小倉(ぶぜんこくら)の細川家が採石していた。残石を動かすことすらできなかったはずだが、1838年から、地域を支配していた津山藩の許可を得て400個ほど切り売りしていたという記述と野辺地町の石畳が約300枚と近い点からも信ぴょう性が高い。
亀田町長は「ここの石を見て同じ石だと確信した。石が取り持つ縁。これからも交流を続けたい」と話した。【秋長律子】