向谷実氏が考える鉄道と音楽(前編)――発車メロディ3つのオキテ

12月24日9時23分配信 Business Media 誠

 かつてジリジリと乗客を急き立てた発車ベルが、心地よくお客様を送り出すメロディに変わってきた。発端は、乗客や駅周辺の人々からの苦情だった。各駅の発車メロディには、パターン化した曲や、親しみのある曲のアレンジ版などさまざまな種類がある。そんな発車メロディには、乗車を促し、注意を喚起するだけではなく、心地よさを演出するという役割も求められるという。

 発車メロディとは、そういった実用的な機能を求められる“鉄道向け実用楽曲”の1つといえる。本記事ではこういった実用楽曲の成り立ちと意義について、作曲家の向谷実氏に聞いたインタビューを2回に分けてお送りする。

 向谷氏はフュージョンバンド、カシオペアのキーボード担当として有名だ。現在は鉄道シミュレーションゲームの制作者、鉄道クイズゲームの監修者としても知られている。またゲームだけでなく、2007年にオープンした鉄道博物館のSLシミュレータや、富士通と提携して鉄道会社の乗務員訓練シミュレータなど、業務用シミュレータも手掛けている。最近では、作曲家としても鉄道に関わっている向谷氏。九州新幹線の発車メロディや車内放送メロディに続き、京阪電鉄の発車メロディを作曲して話題になっている。

 この京阪電鉄の発車メロディは「各駅のメロディをつなぐと1曲になる」という仕掛けが施してあり、京阪電鉄のサイトで試聴することができる(参照リンク)。2007年6月から京阪線17駅で使用されており、列車の種別と行き先で異なる4パターンがある。2008年11月には、発車メロディに加え、アレンジバージョンも含めて収録した音楽CD『京阪電車発車メロディコレクション』が発売された。

 向谷氏は発車メロディに対する強い理念を持っている。発車メロディは「ただベルがメロディになっただけではない」と話す。

●発車メロディのオキテ――その1「完結しない」

 「最初に発車メロディを作った路線は九州新幹線で、今回の京阪電鉄は2作目になります。京阪は都会の通勤電車なので数秒の短いメロディですが、最初に手掛けた新幹線は長かった。十数秒あるんですね。最初だし、この長さだと表現できることもいろいろあって、音楽的にもさまざまなチャレンジをしました。そのときに『発車メロディとはこうであるべきじゃないか』という、自分なりのセオリーができてきました」

 鉄道会社からはとくに、発車メロディに対して「こうしてほしい」という要望はなかったという。つまり、鉄道会社すら考えが及ばない“発車メロディのあるべき姿”を、作曲する立場の向谷氏は悟ったのだ。

 向谷氏が考える、発車メロディのセオリーとは何か?

 「電車に乗る前に楽曲を終結させないということです。電車に乗る人は、そこですべて終わっているわけではなくて、まだ何かをしている最中か、これから何かを始めるか。例え帰宅時であっても、今日1日のいろんなことを考えながら家路につくわけで、家に帰るまで移動は終わってないですよね。そんな気分で電車に乗る時に、終わった感じの音楽を聴かされるとがっくり来ちゃう、と思ったのです」

 都市を走る路線の発車メロディが“日常の音”なのに対して、“非日常”である新幹線のホームで流れる発車メロディには、求められるものは違うのだろうか。

 「新幹線に乗る時は、ビジネスでも旅行でも、ダイナミックな活動のためにワクワクしていることが多いはず。だから九州新幹線の発車メロディは、転調+転調+転調して終わらない感じ。そういう曲を作りました」

 発車ベルのように、危険喚起、注意喚起、お客様を急かすのではなく、ワクワク気分を盛り上げて、さあ乗ろう、という気分にさせる。スムーズな乗降を実現するという結果は同じだとしても、お客様の気分はどちらがいいか。

 「これは効果があったと思いました。だから、自分の駅メロディのセオリーは“完結しない”です。京阪電鉄の場合は、各駅のメロディをつないで1曲にするというチャレンジがあったので、終着駅については若干終わった印象もあります。でも、原則としては終わりにしない曲を作りました」

●発車メロディのオキテ――その2「単純音源を使わない」

 「発車メロディとしては、私の音はかなりゴージャスです。理由? だってその方が楽しいから(笑)。いま、ほとんどの駅で採用されている発車メロディは、電子音のシングルトーンです。オーケストレーションがない。だから単純でつまらない音になっている。もっとも、これはメロディを流す音響装置が古いせいで、複雑な音を再現できないからという事情もあります。でも設備の更新に伴って、改善は進んでいます。だから(自分が作る発車メロディでは)、できるだけいろんな音を出したい」

 京阪電鉄の発車メロディでは、ホームで使っている機器と同じ機器を用意して、作った曲を試聴したという。そこから曲の修正をかけていく。低音が割れないか、高音が耳障りに聞こえないか。

 「こんなに中音域を厚く作っても意味がないな、とかね。同じ路線の駅でもいろいろなスピーカーがあるので、最大公約数でここまで大丈夫、という音を研究しています。車内放送も含めて、ここまで作り込んでも大丈夫だな、というところで作っています」

●発車メロディのオキテ――その3“生音”と“手弾き”にこだわる

 京阪電鉄のプレスリリースによると、今回の発車メロディについて「駅を、通勤や通学、レジャーなど“生活の1シーン”ととらえ、これまでの発車メロディが目的としていた乗車督促とは一線を画し、一歩リードした駅環境の実現をめざしています」とある(プレスリリース、PDF)。確かに向谷氏の発車メロディは、聞いていて心地よい。

 「発車メロディはシンセサイザーなど電子楽器で作ります。ただし電子音に頼らずに、なるべく生音を取り込み、手弾きの部分を多くしています。人間が聴くんだから、もっと人間の感性を大事にしたいと考えているためです」

 人が心地よく聞ける音作り。それはおそらく、向谷氏の音楽制作すべてにわたる基本の考え方だろう。多くのファンに支持された、音楽のプロの言葉である。

 「シーケンサーを使うと、完全な16分音符、完全な音階、音量、音の長さで作曲できます。だけど、僕の曲は人間が弾いた音を使うから、それぞれの要素がちょっとずつ違う。できるだけ自分の感性を信じます。バックではカチッとさせているところもありますが、メロディの演奏は手でやります。そこが機械任せで作った発車メロディとの大きな違いです。音楽用語では『テンポ・ルバート』というんですが、テンポを変えているんですね。例えば京阪電鉄の曲では、快速急行と特急に復活した車内放送前の音、京都行きの上りがそうです。まさに手弾きの良さがでています」

 人は何かを作る時に、論理的に整合性のある結果を求めたがる。音楽作りでも、完全なリズム、完全な音階を志向する。そのほうが論理的だからだ。しかし、人間の感性はそんなカチッとしたものに対して、無意識に違和感を覚えてしまう。向谷氏の言うルバートによって、耳に優しい発車メロディができあがる。

 しかし、これらの要素をすべて実現させるには発車メロディは短すぎないだろうか。向谷氏が普段作る楽曲とは違った難しさがあると思うのだが。

 「短くても表現できますよ。数秒あれば十分です。音楽はいろんな要素の集合体だから、1小節、2小節でも十分に表現できるんです。1曲の長い短いに、作り方の差異はほとんどないですね」

 では逆に、発車メロディという短い曲作りをする上で面白かったこともあるだろうか。

 「それはもう、僕の考え方を鉄道会社が認めてくれたことが嬉しいし、面白かった(笑)」

●発車メロディとは実用的な音である

 発車メロディの起源は発車ベルである。安全面、ダイヤ維持、扉が閉まる、列車が動く、それらについて、お客様に注意を促す音でなくてはいけない。聞き心地が良すぎても役に立たないのではないか。どちらかというと実用面を重視しており、今までの作曲家が音楽ファンに向けて作ってきた音楽とは違うのではないか。

 「うーん、(注意喚起という意味での実用性重視について)そういう時代は終わっていると思う。例えば、JR東日本には音楽的な要素を重視した発車メロディもありますよね。高田馬場駅は鉄腕アトム、蒲田駅は蒲田行進曲などを流しています。今までの仕事で鉄道会社といろいろお付き合いしてきて、鉄道会社はコンテンツホルダーとしての感覚を持たれてきたと感じます。

 もう鉄道会社は輸送サービスだけでは立ち行かなくなってきて、不動産とか商業施設とか、鉄道以外の収益のほうが多いという会社もいっぱいある。業態が多様化しているんです。そして絶対的な労働人口は頭打ちになって増えない。少子高齢化とかで、今後、鉄道を利用する人は減ってくる。そうすると鉄道事業はお客様に対するサービスとして『鉄道に乗ったらこんなに楽しかったよ、面白かったよ』というエンターテインメント性、鉄道の旅や意匠などのコンテンツを重視したい(と考えるようになる)。その流れに私の発車メロディはピッタリだったのかな、と思います」

●発車メロディの改善が、乗客の安全や運行の遅れ防止につながる

 発車ベルから、耳に優しい発車メロディへ。それはエンターテイメントでありコンテンツである。発車メロディは鉄道会社の意識改革の象徴といえそうだ。もちろん、乗客誘導という実用性も備えている。ただし、実用性の考え方がベルとメロディでは違うという。

 「京阪電鉄では、発車案内放送がすべて自動化されています。出発可能な時刻を逆算して発車メロディを流すのです。(ほかの鉄道会社では)発車ベルは車掌さんが鳴らしますが、京阪電鉄の発車メロディは自動化されているので、車掌さんはなにもしなくてもいい。『このメロディが終わったら自動放送が流れてドアが閉まりますよ』という習慣が(お客も車掌も)できています。車掌さんは音を出す作業をしないぶん、安全確認に集中できます」

 メロディ、案内放送、ドア閉め、発車。このリズムが固定されていると、お客さんにもメリットがある。メロディが鳴り始めた時に、自分がどの位置にいるかで、無意識に乗車可能か否かを判断できるようになるのだ。メロディが流れた時、自分がホームにいたら手近な扉から乗車すればいい。メロディが流れた時、自分がホームへの階段を下りる途中だったら、間に合わないから次の列車にしようと判断できる。その結果、駆け込み乗車などの危険を減らせると向谷氏は言う。

 「せっかく発車メロディを採用しても、2コーラス鳴らす人もいれば、2秒で止めてしまう人もいる。車掌さんの裁量なんですね。だからダイヤによっても鳴る時間が変わる。もし、発車メロディが“必ず何秒流れます”という保証があれば、お客さんも乗るかどうか判断できる。流れ始めた時ならまだ間に合うとか、曲の終わりだったら『もう間に合わないから次の列車にしよう』とか」

●駅や列車、鉄道全体を音楽で演出する

 せっかく発車メロディを採用しても、運用が発車ベルと同じなら効果がない。発車メロディが流れ始めても、それが数秒か1秒か分からない。これではホームに停車中の列車に乗るか無理かが分からない。だからお客さんは、ギャンブルのような駆け込み乗車を試みる。向谷氏は発車メロディについて「鳴り始めてから何秒後に扉が閉まりますよ」という“お約束”が必要だという。

 「発車メロディには、警報や乗降促進という意味もあります。だけど昔のように、早く乗れよ的な発車ベル、発車メロディの時代は終わっていると思う。もちろん混んだ電車に乗ってもらわなくちゃいけない時もあるでしょう。そういうときはリズムで促せると思うんです。京阪電鉄でも忙しい時間帯が多い列車については3拍子を使っている。電車に乗ろうとするときに、4拍子だと落ち着いちゃうんですよ。3拍子で“くるっと回って乗ってね”みたいなね(笑)。そういうリズムを意識して作っています。

 京阪電鉄のように、音楽と自動放送を組み合わせると、お客さんも間が取りやすくなる。駅や列車ごとに違う音楽にすれば、音で列車の種別や駅の識別ができる。そうした実用性とエンターテインメント性を備えて、統一感を出す。演出ですね。駅や列車、鉄道全体を音楽で演出する。それは今までになかった考え方です。でも、鉄道会社が考えなくちゃいけないことだったと思いますよ」

 ただ耳に優しくしただけではない。向谷氏が作った京阪電鉄の発車メロディは、実用面とエンターテイメント性を兼ね備えた“楽しい保安装置”であった。

 インタビュー後編では、発車メロディというビジネスについて語っていただくので、お楽しみに。

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