織田信長が小牧市の小牧山に築いた小牧山城の石垣が、頂上付近を囲むように配置されていたことが同市教委の調査で分かった。市教委が23日、発表した。
5年前の試掘で上下2層の石垣が見つかり「土の城」との定説を覆したが、今回の調査であらためて確認された。27日午前10時半から現地説明会を予定している。
調査は、試掘で出土した石垣付近など頂上の周辺4カ所で実施。3カ所から信長築城時の永禄期(1558~70年)の物と推定される石垣が出てきた。
いずれも中腹から切り出したとみられるチャートという岩石で造られ、最も長い部分で長さ10メートル。1段目が1~1・3メートル、2段目が1・8~2メートルの高さに積み上げられた階段状の石垣で、頂上を囲む“壁”のように連続している。担当者は「清須から移った信長が本格的な居城として位置付けていたのではないか」と話している。
現地説明会の問い合わせは、小牧市教委文化振興課=電0568(76)1189=へ。
(神谷浩一郎)