11月14日15時1分配信 毎日新聞
◇奈教大、現地保存の方針
謎に包まれた奈良時代の大寺院、新薬師寺の金堂「七仏薬師堂」は、現在の東大寺大仏殿をしのぐ規模だった上、基壇の前面とほぼ同じ幅の階段を備えた特殊な構造だった。奈良教育大学(奈良市高畑町)構内での新たな発見に、専門家らは驚きを隠さない。【花澤茂人】
鈴木嘉吉・元奈良国立文化財研究所長(建築史)は「天平という時代のすごさをこれほど目の当たりにできる遺跡はない。基壇の高さも規模も、想像以上だ」と感嘆する。奈良教育大の山岸公基准教授(日本東洋美術史)も「あらゆる物がけた外れだった聖武朝らしい建物。律令体制が確立し、税収が飛躍的に増えた時代背景の中でこそできた規模」と話す。
調査を担当した同大学の金原正明准教授(古文化財科学)も「総国分寺の東大寺や総国分尼寺の法華寺と並ぶ、総薬師寺的な性格を持つ寺として国家的事業で建てられたのだろう」と指摘する。
先月の発表時点では階段の跡は見つからず、今後の課題として残されていた。その後、回廊の有無などを調べるために基壇東南隅とみられていた遺構付近を掘ったところ、更に立派な石組みを見つけた。金原准教授は「回廊の取り付き部分かとも考えたが、今回見つかった石組みの方が優先的に造られており、むしろ金堂本体の基壇だと分かった」と振り返る。
階段の幅がこれほど広いのは、「七仏薬師堂」というお堂の特殊な性格が関係している。現存する例はないが、7体の薬師如来それぞれに脇侍の日光・月光菩薩(ぼさつ)が並び、更に十二神将までが堂内に勢ぞろいしていたとされる。
清水重敦・奈良文化財研究所主任研究員(建築史)は「7体の薬師如来という格に違いのない仏像が端から端まで並んでいたということが、幅の広い階段と関連しているのかもしれない。仏堂の階段と内部に置かれる仏像には関係があるという事を示唆する発見」と話す。山岸准教授は「平安時代以降に作られるようになった9体の阿弥陀(あみだ)如来をまつる九体阿弥陀堂につながるヒントとなったかもしれない」と推測する。
一方、金堂とすることに疑問を感じている研究者もいる。箱崎和久・同研究所主任研究員(建築史)は「金堂の背後に立つ講堂の跡ではないか」と指摘。「文献には、七仏薬師堂は正面9間(柱の間が9カ所)の建物と書いてあり、今回見つかった建築は大きすぎる。講堂と考えた方が自然では」とみる。
奈良教育大は発掘現場に特別支援学級校舎を改築する予定だったが、現地を保存する方針を決めた。鈴木元所長は「素晴らしい遺跡。今後も、全容解明のためにさまざまな分野の研究者が集まって知恵を出し合うべきだろう」と話している。