代役でも全力の根曳

◇黒衣に徹して船回し練習
 《油屋町・坂口実さん》

 9月12日、長崎市油屋町で理容店を経営する坂口実さん(42)は、声を振り絞って根曳(ねびき)歌を歌っていた。くんちで奉納する川船の練習だ。船の枠を強くつかみ続ける。手の皮はめくれ上がってから治ったばかりだ。それにもかまわず、思い切り力を込めて船を回した。「今日が最後の船回し」。そう思うと、気合が入った。

 坂口さんは根曳衆ではない。どうしても練習に来られない根曳の代わりに曳(ひ)いているだけだ。代理で練習に参加した回数は9回。「『9回根曳』ですよ」と笑う。

 今年2月、坂口さんは父の光義さんを亡くした。店や家庭が慌ただしくなり、くんちに出られる状態ではなかった。やむなく辞退した。

 6月ごろに落ち着いて来ると、根曳をしたくなった。だが、4月に根曳の16人は決定している。今さら出ることはできなかった。

 代わりにくんちを支えることに専念した。練習のほとんどに顔を出し、お茶を配り、準備、片づけ、交通整理をした。練習に都合がつかない根曳の代役は、喜んで引き受けた。

 「本当はめちゃくちゃ出たい」。本音がもれる。前回の02年は根曳を務めた。本番3日間を終えた時、大泣きした。「年を取ってから、皆で達成感を味わうことはなかなかできない。踊町に生まれて良かった」

 以来、長崎市南山手町の長崎伝統芸能館に展示してある川船を何度も見に出かけた。「あの傷は俺が付けた。あのテープの跡もおれだ」とガラス越しに眺めた。家でも自分が出ていたころのビデオを繰り返し見ていた。

 9月16日、同市鍛冶屋町の八坂神社で油屋町の川船が最後の練習をした。神社の階段や境内には100人を超える観客が集まり「モッテコーイ!」と何度も何度も声がかかった。坂口さんも、階段のど真ん中から声がかれるほど応援した。「慌てて着たら間違えた」と、02年の油屋町のTシャツを着ていた。

 最後の練習は終わった。「感動のラストでしたね。ばっちりでした」。根曳ではなくても、皆が悔いのない奉納が出来るように何でもする。くんち初日の7日は、旗を持って川船の庭先回りを手伝う予定だ。

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