深紅の階段42年の歴史に幕 クラブ和院

◇◆大門の夜「時代作った」◆◇

 深紅のじゅうたんの長い階段を上ると、ピアノの音色と客の談笑が広がる。そんな社交場の雰囲気を持った津市大門のクラブ「和院」が2月末、42年の歴史に幕を下ろした。この十数年、バブル崩壊、官官接待の廃止などで客足は遠のき、2月2日にマスターの前田充弘さん(74)が急死したことで、閉店が決まった。常連客は「一つの歴史が終わった」と惜しんだ。(藤崎麻里)

 最後の営業となった先月24、25日の「お別れの会」には、常連客ら百数十人がグラスを傾けた。

 かつて、地元政財界の有力者がよく集った。30年ほど前にはボックス席がいっぱいで、カウンターで空くのを待つ人もいるほどだった。現役時代の原辰徳・現巨人監督や元横綱三重ノ海の武蔵川理事長らも訪れ、3階には人目につかないように裏の階段で上がれる個室もあった。

 和院の名は、充弘さんとママの政子さん(70)が出会った神戸のバーが由来。1968年に店を構え、政子さんが店を仕切り、充弘さんが掃除や送迎などで支えた。店を少しずつ大きくし、94年に開いた今の店舗は3軒目。赤い階段は「おっちゃんの夢」と充弘さんが設計からかかわった。

 2人の人柄も客を引き付けた。25年来の付き合いという津市の人材派遣会社長吉田謙一さん(58)は「仕事でも紹介を受けるなどずっと世話になっていた。でも見返りを期待されず、懐の大きい父のような人だった」と語る。

 政子さんは月1回、昼間に2時間のミーティングをした。「お客様には誠意をもって接して」「新聞の見出しだけでいいから目を通して」と心構えを説いた。給与袋には「言葉遣いに気を付けて」などの言葉を添えた。

 和院のホステスが大門を歩くと、通行人が道を開けるとも言われた。「靴はハイヒール。でも、かかとのないミュールはだめ」。服装や振る舞いなど政子さんのしつけが、ホステスの雰囲気を変えた。店の雰囲気に合わない明るい茶髪にしたホステスにはこう言った。「よその店に行ってください」

 和院を巣立ち、店を持ったホステスらは、多い時で20人ほどいた。島岡美千子さんも92年に大門に店を構えた。「和院で仕込んでいただき、今があります」

 政子さんは「(大門の)一時代を作ったのではないかと思うよ。今は走馬灯のようにお客様の顔が浮かぶ。よき時代だったね」とかみしめた。

 20歳で店に入った、親せきの鈴木裕輔さん(29)は「店はママの夢で、続けてきたのはマスターのロマン」と言う。近く、バーとして再スタートさせるつもりだ。「大門に和院の名を残します」

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