◆阪神5―8巨人(8日・甲子園) 選手会長の内海が、7日にくも膜下出血で亡くなった木村拓也内野手守備走塁コーチ(享年37歳)へささげる熱投を見せた。阪神打線に粘られながらも5回を4失点にまとめ、07年以来自身2度目となる開幕戦先発からの3戦3勝。球団創設期にチームを支えた伝説の大エース・沢村栄治以来の偉業を達成した。主砲のラミレスも初回、5試合ぶりの4号3ラン。深い悲しみを糧に勝利を重ねた。
伝説に並んだ。白星に魅入られた内海が開幕3連勝を飾った。「“勝った”というより、“勝たせてもらった”という感じです」。5回4失点の結果に笑顔はなかったが、勝利という事実には一定の満足感がこみ上げた。巨人の開幕投手では沢村栄治(36年秋、37年春)以来、史上2人目の2度目の開幕3戦3勝。エース道を歩む左腕が、伝説の大投手に続くロケットスタートを決めた。
崩れなかった。5点リードの4回にマートンの3ランなどで4失点したが、同点は許さなかった。振り返れば、2回の粘りが大きかった。先頭の金本に死球を与えると、続く新井にはストレートの四球。制球難から背負った無死満塁の大ピンチで、後続を3者連続三振。イニングの中で修正する技術と精神力を披露した内海を、原監督は「本来の力からするとかけ離れていたが、粘り強く放った」と評価した。
最愛の先輩と一緒に戦った。内海の帽子のひさしには、7日に亡くなった木村拓コーチの現役時代の背番号「0」が書き込まれていた。「僕にとってはタクさんが亡くなられて初めての試合。何としてもタクさんのために勝つ。そう思ってマウンドに上がりました」
目を閉じれば、今も優しい笑顔が目に浮かぶ。木村拓コーチが現役だった昨季までは、二塁の守備位置からの明るいかけ声に何度も励まされた。「(調子が)いい時も悪い時も声をかけてくれて…。最高の先輩でした」。感謝を100球に込め、天国に白星を届けた。
8奪三振で3勝目を挙げ、勝利数、奪三振(24)、勝率(10割)でリーグトップに立った。「今日は野手のみなさんがいっぱい打ってくれて、(救援の)久保さんにも助けられた。次は僕で勝てるように頑張りたい」。勝利こそが大黒柱の務め。エースへの階段を、内海はハイスピードで上がっていく。
◆伝説の大投手・沢村栄治 京都商(現京都学園)時代から速球派として鳴らし、甲子園にも3度出場。その後、中退して全日本入り。17歳だった1934年11月にはベーブ・ルースらを擁する大リーグ選抜を1失点に抑える好投を見せ、同年末にプロ入りした。そのスピードボールは150キロを楽に超えていたといわれ、巨人では1年目からエースとして活躍。3度のノーヒットノーランを達成するなど通算63勝22敗の成績を残したが、44年に27歳の若さで戦死。功績をたたえ、47年に「沢村賞」が創設され、背番号14は巨人の永久欠番となった。また、59年に第1回の野球殿堂入り。