9月25日12時8分配信 産経新聞
海の中にはピラミッドがある。といっても、謎の古代遺跡ではない。
食う食われるの関係と生物の量を概念的に示す「食物連鎖のピラミッド」だ。頂上の三角形の部分は大型魚が占め、一番下の大きな土台の部分には植物プランクトンが位置する。
「日本の親潮域など生産量の多い豊かな海では、このピラミッドが4段で構成されています」と、水産総合研究センター・北海道区水産研究所亜寒帯海洋環境部・生物環境研究室の小埜(おの)恒夫室長。
植物プランクトンの上の段にはそれを食べる動物プランクトンが位置し、その上には動物プランクトンを利用する小さな魚が位置する。さらにその上に大型魚という4段の構造だ。
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「ところが」と、小埜さんはピラミッドの図を示した。「温暖化が進むと、4段ピラミッドが5段に変わる可能性があるのです」
これはまずいことなのだ。例えば温暖化で降水量が増えると海の表層水の塩分が薄まって軽くなる。また表層が温められると、やはり海水は軽くなって下に沈み込まなくなり、深層から栄養に富む海水が上がって来る循環が弱まる。
その結果、1段目の主要な植物プランクトンの珪藻(けいそう)が、珪素(けいそ)不足で減少し、代わりに緑藻や藍藻(らんそう)といった微小植物プランクトンが取って代わる。
「植物プランクトンが微小化すると、それを餌とする微小動物プランクトンが増えます」。鞭毛虫(べんもうちゅう)や有鐘(ゆうしょう)類などだ。その微小動物プランクトンをカイアシ類やオキアミなどの普通の動物プランクトンが食べる。
植物プランクトンが微小植物プランクトンに代わり、新たに微小動物プランクトンが割り込むことで、4段ピラミッドが5段に変わってしまうのだ。
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海洋の植物プランクトンが炭酸同化作用で有機物に取り込む炭素の量は、1年間に500億トンと推定されている。食物連鎖の階段を1段上がるごとに、大部分がロスとなるので、上の段階の生物の体に移行する炭素の割合は10%止まり。
そのため4段の食物連鎖のピラミッドだと、頂上の大型魚全体の炭素量は5000万トンとなる。水分を含む魚体に換算すると、総体重で5億トンという量だ。
これが5段のピラミッドに変わると、ロスが1段階増えるため、世界の海にいる大型魚の総体重は5000万トン(炭素量だと500万トン)に減少する。これは温暖化が進むと、人類が利用できる魚の量が現在の10分の1に減りうる可能性を意味している。
小埜さんによると、すでに海水の上下混合が起きにくくなっていたり、植物プランクトンの珪藻が減り始めたりしているデータが得られつつあるという。
「三陸沖の混合域の海では動物プランクトンの減少も始まっています」
しかし、自然界はゆとりを持って構成されているので、海のピラミッドが一気に4段から5段へ変わるわけではないようだ。
「今は余裕の部分が至る所で削られていて、5段ピラミッドへの条件が整いつつあるという状況です」。余裕はいつまで保つか現在の知識では分からないと小埜さんは語る。
海のピラミッドが変わるのは、50年後か100年後か。頂上の半分がエチゼンクラゲなどの大型クラゲで占められる可能性も高い。温暖化の波は、海の食物連鎖の構造さえ変容させようとしている。(長辻象平)