Dragon Ash、ツアーファイナルに武田真治や持田香織らが登場

6月19日9時51分配信 BARKS

3月より全国ツアー<Dragon Ash Tour FREEDOM~新進シャンソン歌手総出演新春シャンソンショウ~>を行なっていたDragon Ashが13日、SHIBUYA-AXにてツアーファイナルを迎えた。

最新アルバム『FREEDOM』を引っ提げて行なわれた今回のツアーの追加公演となるこの日は、アルバムからの楽曲を中心に、本公演では披露されなかったファンにおなじみの楽曲や、ツアー用にリアレンジされた懐かしの曲も披露された。

Dragon Ashのタオルを持ち、Tシャツやタンクトップといった格好で、ライヴで楽しく暴れる気満々の約1,500人のオーディエンスが待つ中、アルバム『FREEDOM』収録曲「Intro」の陽気なラテンサウンドでライヴは幕を開けた。

「Freedom」「Desperado」とラテンロックな楽曲が続き、Kjお得意の「飛び跳ねろ!」の掛け声にオーディエンスがジャンプして応える。この日は武田真治、フリースタイルサッカーユニットMy-B、SBKからSHIGEOとSHUN、さらに持田香織がゲストとして登場した。

最初に登場した武田真治は、アルバム『INDEPENDIENTE』から自身がサックスでフィーチャリング参加している「El Alma」をDragon Ashとともに演奏。ハイブローのサックスを炸裂させた。その後登場した「Velvet Touch」のプロモーションビデオに出演しているフリースタイルサッカーユニットMy-Bは、演奏に合わせてトリッキーなサッカープレイを披露して会場を沸かせ、「Episode6」では盟友SBKのSHIGEOとSHUNが、抜群のマイクパフォーマンスで会場を盛り上げた。

そして、この日最大のサプライズゲスト、持田香織がステージに登場すると、これまでやたら男臭かったステージが一気に華やかに。Kjの希望で実現したフィーチャーリング曲「wipe your eyes」で柔らかな歌声を響かせた。

ライヴではオーディエンスのダイブ魂に火をつける「Fantasista」、まったりモードの「Glory」、夏にピッタリな「Sunset Beach」、Dragon Ashの新たなライヴアンセムになりつつある「Dear Mosh Pit」のほか、「静かな日々の階段を」「La Bamba」といったナンバーも披露され、会場はお祭り騒ぎ状態で盛り上がった。

本編ラストはファンとの絆を歌にした「運命共同体」、アンコールラストは昔からの代表曲「Viva la revolution」を披露してツアーの幕を閉じた。

<Dragon Ash Tour FREEDOM 2009.6.13 3SHIBUYA-AX>
セットリスト
Intro
1.Freedom
2.Desperado
3.Ivory
4.El Alma ※feat.Shinji Takeda
5.Glory
6.Sunset Beach
7.few lights till night
8.静かな日々の階段を
9.Velvet Touch ※リフティング My-B
10.Mixture
11.繋がりSUNSET
12.百合の咲く場所で
13.Dear Mosh Pit
14.La Bamba
15.Episode6 ※feat.SHUN,SHIGEO
16.Fantasista
17.wipe your eyes ※feat.持田香織
18.運命共同体
Outro
≪アンコール≫
1.Let yourself go,Let myself go
2.Bonita
3.Episode 4
4.Smells Like Teen Spirit
5.Iceman
6.Viva la revolution

横浜駅大改造へ意見交換

6月15日23時0分配信 カナロコ

 横浜駅周辺の大規模なまちづくりを目指す「横浜駅周辺大改造計画」について考えるシンポジウムが14日、横浜駅東口の新都市ホールで開かれた。横浜市が主催し、神奈川新聞社などが後援。市民や学生ら約560人が参加した。

 前半は、同計画づくり委員会委員長の小林重敬東京都市大教授がコーディネーターとなってパネルディスカッション。

 「横浜駅からみなとみらい21地区へと続く都心軸として、まちづくりを考えてもらいたい」(松谷春敏国土交通省大臣官房技術審議官)、「(体力などが)一番弱い者を基準にして使いやすい駅にしてほしい。各鉄道の行き先の光景を横浜駅の階段に描くと癒やしの空間になる」(作家・山崎洋子さん)、「横浜駅はこれまで地下1階レベルの整備をしてきたが、これからはデッキ階を整備して回遊性や防災性を持たせることが必要」(林康雄JR東日本常務)など、多様な意見が出された。

 後半は市内の大学が参加した「大学生トークセッション」。横浜国立大、関東学院大、横浜商科大、フェリス女学院大、神奈川大の学生が、バリアフリーや効率的な空間利用などの観点から意見を発表していた。

オスマン・サンコン、母介護でホームヘルパー2級取得

6月12日13時24分配信 産経新聞

 タレントのオスマン・サンコンさん(60)は、平成13年にホームヘルパー2級を取得し、ボランティアに励んでいる。介護を学んだのは、遠いアフリカにいた母の「遠距離介護」のため。電話や帰省で親を支える遠距離介護には、側にいられない罪悪感や容体把握の難しさなど悩みが多いもの。毎日、電話で母の血圧を確かめた。そんな日々を母との思い出とともに語った。(文 寺田理恵)

 僕は年寄りを起こさないで、パジャマをチェンジできますよ。本人の力を利用してね。介護は、力じゃないからね。呼吸なんですよ。相手は人だから、尊敬してね。

 介護を勉強したのは、母のためです。僕は兄弟22人の12番目。お母さんが3人いて、第1夫人の長男です。36年前、大使館をオープンするために日本に来て、その後ワシントンに転勤になって、10年も国に帰らなかった。親不孝をしたのに、お母さんは「国の仕事に必要とされているから行きなさい」と言ってくれた。

 帰国して外務省に勤めた後、また日本ギニア友好協会の広報官として日本へ来ました。お母さんのことはギニアにいる姉たちに任せきりだから、毎年プレゼントを買って帰ります。ギニアにいるのは1~2週間。お母さんは小さいのに、僕をひざの上に抱っこしてくれました。

 お母さんは息子の足を治せなかったことを、ずっと抱えていました。僕は3級の障害者手帳を持っています。高校2年のとき、サッカーで骨折したのがもとで、右足が不自由です。お母さんは毎晩、僕の足が治るようにと、もんでくれた。その手のぬくもりは今も感じます。

               □ ■ □

 母に何か恩返しができるんじゃないかと、血圧測定器と体温計、ノートをギニアに送って、毎日電話して、「今日いくつだった」と数値を聞きました。高血圧だったんです。

 毎年、母に会いに行くために、日本で1年頑張っていました。母は帰るたび、だんだん年をとっていく。友達が特別養護老人ホームの苑長(施設長)でね、彼に「お母さんと同じ年齢、症状の人がいるから勉強したら」と勧められ、ヘルパー2級の資格を取りました。1年かかったけど実習を全部やった。入浴介助もしました。

 ギニアへは電話して、介護するの。毎日、食事のメニューや血圧を聞いて。ギニアにはお風呂がなくてシャワーを使うけれど、日本のおじいさん、おばあさんが笑顔になるのは、お風呂に入っているとき。だから、ギニアの家にお風呂を造って、「血行をよくするために入りなさい」と勧めました。

               □ ■ □

 母が亡くなったのは2005年12月です。階段で転んでから歩かなくなりました。ご飯を食べなくなって体重がどんどん減って、寝たきりになりました。ある日、50年使った指輪を抜いて、形見にくれました。それが僕との最後のやりとり。2カ月後に会ったときは、もう僕の顔も分からなかった。アフリカの平均寿命よりずっと長く生きて、86歳で亡くなりました。介護を勉強してよかったなと思いましたよ。後悔はしていない。

 日本全国の老人ホームで、そういう話をします。講演会のついでに、ボランティアでね。一人一人、自分の母だと思いながら握手します。母もこういう手だった、同じ手だと思いながら。母に出会ったと思うことで僕も慰められています。

                   ◇

【プロフィル】オスマン・サンコン

 おすまん・さんこん 昭和24年3月、西アフリカ・ギニア生まれ。47年外交官として来日し、8年間滞在。59年に外務省を休職して再来日し、バラエティー番組「笑っていいとも!」(フジテレビ系)出演をきっかけに人気者に。現在は講演活動のほか、ギニア日本交流協会顧問としてボランティアに励む。ホームヘルパー2級の資格を持つ。

アジサイ開花、海と共演/鎌倉

6月9日22時0分配信 カナロコ

 鎌倉7切り通しの一つ「極楽寺切り通し」に位置する「成就院」(鎌倉市極楽寺)で、アジサイが咲き始めた。眼下に由比ガ浜海岸を望む参道には多くの参拝客が詰め掛け、花と海の共演を楽しんでいた。

 成就院は鎌倉幕府3代執権・北条泰時が創建した。

 アジサイは、40年ほど前に参道の修復時に100株ほどを植えたのが始まり。10年ほど前に、般若心経の文字数と同じ262株に増やした。現在は8部咲きほどで、今週末にも見ごろを迎えるという。

 参道の階段は煩悩の数と同じ108段。原照雄名誉住職は「般若心経の数と同じきれいな花をめでてもらうことで、身も心も清められるのではなかろうか」と話している。

 問い合わせは、成就院0467(22)3401へ。

「駅ナカビジネス」で増収へ 京都市 地下鉄四条駅を改修

6月6日9時19分配信 京都新聞

 京都市は、国の追加経済対策で盛り込まれた交付金を活用し、地下鉄烏丸線の四条駅(下京区)をリニューアルする。改札フロアで店舗用のスペースを広げ、「駅ナカビジネス」の増収につなげる。1981年の烏丸線開業以来、四条駅の大規模改修は初めて。
 四条駅の1日あたりの利用客は約8万8000人で、市営地下鉄では京都駅に次いで多い。阪急烏丸駅と接続している改札フロアでは、駅ナカビジネスとして既にパン店とジューススタンドが出店しているが、改札機から最も近いホームへ通じる階段まで通路が約40メートルもあり、有効活用されていないスペースが残っている。
 改修ではこのフロアの改札機を南側へ移して階段側へ近づけ、店舗用のスペースを確保する。今秋までに具体的な計画を策定し、本年度内に工事を始める。テナントも募集していく。
 改修費は、国の補正予算で京都市に配分される地域活性化・経済危機対策臨時交付金約22億円の中から数億円を充てる。市交通局は策定中の経営健全化計画案で、駅ナカビジネスの収入を2013年度までに年間5億円とする目標を掲げている。08年度は前年度比で2倍近い約1億円の収入が見込まれており、「今後も利用客の多い駅を中心に積極的に店舗を増やしたい」としている。

「旅行福祉士」各地で養成 重度障害者に観光の喜び

6月6日8時18分配信 フジサンケイ ビジネスアイ

 体の不自由な人たちが旅をする際に手助けをする「トラベルボランティア」が注目されている。視覚障害者や歩行困難な人だけでなく、排泄(はいせつ)の介助が必要な重度の障害者を受け入れる団体や、新人研修に取り入れる企業も出てきた。

 未明の東京・築地市場。1本200万円以上するマグロの仲買人による威勢のよい掛け声が響く。競りを見に集まった観光客の中には、車いすの男女と介助者も。排泄の手助けなどが必要な重度障害者の旅の介助をこなす「旅行福祉士」養成講座の参加者たちだ。

 「高齢になり体が不自由になっても、いつでもどこへでも旅ができるようにしたい」とNPO法人(特定非営利活動法人)「ジャパン・トラベルボランティア・ネットワーク」(東京都多摩市)のおそどまさこ理事長が主催する。

 講座では築地市場や、三社祭でにぎわう東京・浅草周辺をボランティアが実際に介助しながら観光。人込みの中でどうやって危険を回避するかや、階段などで特殊なベルトを使って車いすの人を運ぶ方法を学んだ。

 おそど理事長は「旅は介護保険の適用対象外。全国に旅行福祉士のネットワークを広げれば、家族の付き添いがなくても気軽に旅行でき、自立支援にも役立つ」と訴える。

 大手旅行会社も、トラベルボランティアの養成に力を入れる。顧客の7割が50歳以上の「クラブツーリズム」(東京都新宿区)では、旅先での入浴介助やコミュニケーションの取り方などを学ぶ「旅行支援者養成講座」を2006年に開講。講座の卒業生ら約300人がトラベルボランティアに登録している。

 「ネッツトヨタ南国」(高知市)では2000年から、研修中の新入社員がクラブツーリズム主催の「視覚障害者と四国88カ所霊場をめぐるお遍路」にボランティアとして参加している。

 同社はトヨタ自動車が全国290の販売店を対象にした顧客満足度調査で10年連続日本一に。採用担当の結城貴暁さん(32)は「介助だけでなく人とのつながりや感謝を学んだことが接客や職場での助け合いに生かされている」と話している。

視覚障害者介助研修:警察学校初任科生、県立盲学校で /島根

6月4日16時2分配信 毎日新聞

 障害者への理解を深めるとともに、今後の職務で思いやりを身につけてもらおうと警察学校で学ぶ初任科第136期生が3日、松江市西浜佐陀町の県立盲学校で視覚障害者介助研修を受けた。
 同校を訪れたのは県警察学校で教育や訓練を受けている今年4月に採用された39人。盲学校の歩行訓練士の資格を持つ教諭から、スライドを使用して弱視や全盲の視覚障害者の生活はどういったものか、など視覚障害者について理解を深める授業を受けた。その後、2人1組になり、1人がアイマスクを付けて階段などを歩行し視覚障害を疑似体験し、もう1人が介助するという実習を行った。
 県警察学校の山崎孝雄副校長は「ただ、障害がある方の介助方法を学ぶだけではなく、困っている人の立場に立ち、親身になって接する思いやりのある警察官になってほしい」と語った。【目野創】

高層ビルで階段マラソン 高松シンボルタワー 香川

6月1日7時59分配信 産経新聞

 四国の最高層ビルの階段を駆け上がる「サンポート・シンボルタワー・ランアップ」が31日、高松市サンポートで開かれ、67歳までの成人男女24人が階段マラソンに挑んだ。高松港周辺の再開発区域「サンポート高松」のオープン5周年記念で香川県が開いた。

 サンポート高松は、宇高連絡船時代に四国の玄関口だった高松港の一部を埋め立てるなどして整備した高松市の新都心。平成16年5月に超高層オフィスビルの「高松シンボルタワー」などが完成し、オープンした。

 階段マラソンは同ビルを使用し、1階から31階(高さ139・2メートル)までの非常階段792段を駆け上がってタイムを競った。参加者は1人ずつ2分ごとにスタート。普段からジョギングなどをしている人が多く、勢いよく階段を駆け上がり始めた。しかし、多くの人は途中でペースダウン。ゴールで倒れ込んでしまったり、酸素吸入を行う人もいたが、全員が“完走”。最高タイムは5分4秒だった。

 最年長参加者の山下谷治さん(67)=高松市牟礼町=は7分5秒でゴールイン。「ビルの中の階段は疲れる。風景は見えず、応援してくれる人もいないし…。6月は九州で開かれる阿蘇カルデラスーパーマラソンの100キロに出場して完走してきたい」と、意気軒高だった。

神岡じん肺訴訟 元労働者ら30人、三井金属など提訴

5月28日14時52分配信 毎日新聞

 岐阜県飛騨市の神岡鉱山で働き、じん肺になったとして27人の元労働者と遺族計30人が28日、鉱山を経営する三井金属鉱業(東京都品川区)と子会社・神岡鉱業(同市神岡町)を相手取り、慰謝料など1人当たり3300万円、総額8億9100万円の損害賠償を求め岐阜地裁に提訴した。

 訴状によると、元労働者27人は1947年~2004年3月、坑内で採掘などの作業に従事し、うち1人が死亡。坑内では多量の粉じんがあったが、両社が集じん装置の設置や労働時間短縮などの対策を取らなかったと主張している。

 「三井金属神岡鉱山じん肺訴訟原告団」によると、これまで両社からの謝罪や補償はなく、訴訟を通じて企業責任を明らかにし、じん肺被害の早期救済を求めていくという。

 神岡鉱山は1874年に三井組が経営を開始し、01年6月の採掘中止までの約130年間、「東洋一の鉱山」として亜鉛や鉛などを供給。一方で、カドミウムを排出し、「イタイイタイ病」を神通川流域で引き起こした。

 原告団長の水本明治さん(62)は01年までの31年間、神岡鉱山で働き、じん肺のために坂道や階段を上ると息苦しくなる。「企業に反省してもらい、安心して働ける環境整備に力を入れてほしいという思いで提訴した」と話した。三井金属鉱業広報室は「訴状を見ていないので、コメントしようがない」と話している。【鈴木敬子】

X橋を永遠に 石材活用し参道整備へ 仙台

5月28日14時34分配信 河北新報

 仙台市宮城野区の町内会「名掛丁東名会」が、本年度にも撤去工事が始まるX(エックス)橋(正式名称・宮城野橋)の石材を活用して歩道を整備する計画を立てている。大正期に建設された橋は独特の形状から市民に愛されている歴史的建造物。関係者は「姿を変えても地域の財産にしたい」と管理する市に働き掛けている。

 東名会は宮城野区名掛丁や榴岡地区の住民でつくる。区画整理事業で変ぼうする地域の姿を伝承する活動の一環で、20年ほど前からX橋などの顕彰に取り組んできた。

 都市計画道路の建設に伴い本年度にも撤去工事が始まることを知り、3月中旬に石材の無償譲渡を求める要望書を市に提出。市も地元の強い意向を踏まえ、同月末に「できるだけ要望に応えたい」と文書で回答した。

 提供されるのは、X橋東側の階段の石になる見通しで、譲渡は2010年度になりそうだ。石は橋から南西約100メートルにある地元のシンボル、塩釜神社に移す予定。地区民が大事に守る神社の参道(約10メートル)などに活用し、由来を記した案内板も設ける予定だ。

 東名会副会長の菅原章さん(68)は「X橋は子どものころから親しみのある思い出深い建造物。街の歴史を伝える貴重な財産として後世に伝えていきたい」と語る。

 市南道路建設課は「設置後相当の年数が経過しているため再利用できるかどうかは分からない。ただ、廃棄するよりは活用する方がいい。工事の状況もあって、譲渡の確約はできないが、石を提供する方向で検討していきたい」と話している。

[X橋]1921年ごろに建設されたJR東北線をまたぐ橋。たもとがそれぞれ二またに分かれた形状から呼び名がついた。現在は橋の西端が1本の道路に集約され、Yの形になっている。東京駅など日本の近代建築物を支えた茨城県笠間市産の稲田石が使われている。終戦後のX橋周辺を描いた「いつかX橋で」(熊谷達也)、「X橋付近」(高城高)など、小説の題材にもなっている。