70年代に大ヒットした「神田川」は早稲田大生の貧しく切ない青春の恋を歌った。そしていま、不況の影が学生街に忍び寄る。再び「4畳半フォーク」の時代? 早稲田かいわいを歩いた。【鈴木琢磨】
夕暮れ、大隈講堂前は同好会のプラカードを持った学生であふれ返っていた。新歓コンパの季節である。晴れやかな顔、顔、顔……。うらやましく思いつつ、南門通りをぶらついていたら、不動産屋の物件案内に目が留まった。
<和室4帖半(じょうはん) トイレ共同 銭湯3分 30000円>。へえ、4畳半か。社長に聞いてみる。「驚きました。地方から上京してきた新入生4人、とにかく安い部屋を、と迷うことなく4畳半風呂なしを選びました。これまで2~3年生が節約のため住み替えるケースはあっても、新入生はありませんでした。明らかに景気悪化の影響ですよ」
都電荒川線早稲田駅そばの古びたビルにこの春、文化構想学部3年の喜屋武(きゃん)悠生(ゆうき)君(22)は越してきた。3階の9畳に3人で住む、いわゆるルームシェア。万年床の脇でインタビュー。「親に申し訳ないんです。僕、2浪して、年100万円の学費まで出してもらっている。月1万5000円の学生寮は期限がきたので。奨学金とウエーターなんかのバイトをしても家賃が3万5000円くらいにまで上がるので痛いです」。傍らで法学部5年生、自炊したカレーをかき込みつつ、黙々とパソコンに向かっている。就活? 「ハイ、頑張ってます!」
喜屋武君のふるさとは沖縄の石垣島である。飛行機代が高すぎて入学以来、1度帰省したきり。父の義孝さん(62)は地元で土木作業をしている。電話して聞いた。「このご時世でしょ、公共事業がさっぱりダメでね。今日まで道路の植栽をやってたんですが、明日から仕事を探さないと。親ですから学費ぐらい出してやりたくて、女房もパートに行ってます。ブタ肉が安い時、大量に買って薫製にして送ってやるんです。ニンニクの漬物なんかと一緒に。親バカですかね。息子がちゃんと就職できればいいんですが」
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馬場下の本屋で早大探検部OB、高野秀行さん(43)の「ワセダ三畳青春記」(集英社文庫)を見つけた。03年の出版以来、ロングセラーが続く。正門から徒歩5分、路地裏のオンボロ木造2階建てアパート「野々村荘」を舞台にした青春小説。喜屋武君によれば、アパートは実在し、その3畳間にいまも早大生が住んでいるとか。恐る恐る訪ねてみると、笑顔の女性がいた。
社会科学部2年の石井実樹さん(21)。「ずっと神奈川の茅ケ崎から通っていたんですが、遠くて。探検部の先輩が留学するので部屋が空いて、下見したら、気に入っちゃった。家賃、月1万4000円なんですよ! 高野さんの本も読んでいたし。お風呂がなくて、どーしよって思ったけど、銭湯もなかなか。回数券を買いました。夜遅くまで友達とわいわい騒いで、大家のおばちゃんに怒られたりするけど、居心地いいんです」
見れば、ちゃぶ台にパソコン、音楽はアイポッド、それに折りたたみ自転車がぽつん。裸電球、ビールの空き瓶、シケモクの山……、かつての貧乏学生アパートとはずいぶん違う。自炊しないの? 「ほとんど外食。うち、兄も妹も私大に通っているので、親にあんまり負担かけられないんです。奨学金もらって、喫茶店でバイト。ここすっごく安いから食費、助かってます」
貧乏サバイバル学生のカリスマになっている著者の高野さんはといえば、ちょっと戸惑った表情。「僕はバブルの余波のころ、学生だったんです。やりたい冒険ならいいけど、家賃にカネを使いたくない。シンプルな生活がしたかったんです。そんな思いで書いた本ですが、いまの学生にシンクロしてるみたいで。僕らの時代よりずっとカネないですから。そう、みんな礼儀正しくなりましたね。大人びて。就活、就活で、すり減らしちゃっているのかなあ」
「野々村荘」1階の共同玄関、靴入れの上に本が無造作に並んでいる。通称「野々村文庫」。そこに五木寛之さんの懐かしい「青春の門」もあった。その「自立篇」の一節。
<……左手の体育館のまえをすぎて階段を降りる手前に、二、三人の靴磨きがいた。驚いたことに、それはみんなこの大学の学生らしかった>
ふるさと筑豊を後にした主人公、伊吹信介が上京し、あこがれの早大で目撃した光景がこれ。日本がまだ貧しかった1950年代。さすがにキャンパスに靴磨きはいなくなったが、閉塞(へいそく)感は増している。伊吹信介と同じ福岡出身、法学部3年の野口冬彦君(20)は個人ネットワーク「学費ZEROネット」のメンバーとして、学費負担軽減のための運動をしている。どこかしらひと時代昔のきまじめな雰囲気を漂わせている。コーヒーショップで会った。
「正直、アンケートをしていても、学費は親に払ってもらっているからと、すぐには自分の問題としてとらえにくいようです。早稲田はブランドだし、小学校から塾に通ったり、ヒエラルキーの上位にいましたから。でも、だからこそ、僕らはもっと広く社会を見ないといけないでしょ。この間、成人式で帰省したら、中学の同級生はほとんど就職してるんです。この国の格差を彼らのほうがよく知っている。考えさせられました」
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ほんのかすかながら、4畳半フォークのにおいがしてきた。同せいしているカップルがいる、とも耳にした。文化構想学部3年の渋谷泰平君(20)と、同級生の山内詩穂さん(20)。大学からほど近い1Kマンション。愛の巣にお邪魔すると、ぷんとカレーの香り。小さな本箱には見田宗介、柄谷行人、鷲田清一といった新書本、そして水玉模様のカバーのかかったベッド。
「ここ、北海道から上京してきた彼女のマンションだったんです。そこに僕が転がり込みました。7万円の家賃は折半してます。奨学金とバイトでなんとか。すぐそこが神田川。せっけんカタカタ鳴らして銭湯行ってます。あこがれるんです。昭和の歌とか。2人にとって、かぐや姫の『神田川』は重要なファクターなんです」。渋谷君がそう上気して言えば、山内さん、顔をぽっと赤らめる。「2本ある蛍光灯を1本だけつけたり、せっせと節約しています」
夜、2人の部屋から「神田川」の作詞をした喜多條忠さん(62)に電話した。「ハハハ、わが神田川のパターンは不変だね。応援してるよ!」
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