「障害者に普通の生活を」自立支援訴訟きょう和解

障害者自立支援法をめぐる集団訴訟のうち、兵庫訴訟がきょう15日、神戸地裁で和解が成立する見通しだ。福祉サービスの拡充に向け、障害者らの期待は高まるが、新たな制度の内容は不透明なまま。原告の一人でマッサージ業の車谷美枝子さん(58)=神戸市東灘区=は「障害者が普通に生活できる社会になってほしい」と願っている。(三島大一郎)

 車谷さんは先天性の全盲の視覚障害者。全盲の夫と結婚し、2人の子どもをもうけた。しかし、阪神・淡路大震災で自宅が全壊。夫は避難先の体育館で、急性心不全のため亡くなった。

 現在、長女と暮らす車谷さんは「生活はぎりぎり」と話す。毎月の収入は障害基礎年金約8万円と自宅で開く治療院の収入で月数万円。「外食もほとんどしない。貯金などとてもできない」と明かす。

 車谷さんは、週5、6時間の家事援助、月数回の移動支援を利用。買い物などに1人で出掛け、道の側溝に落ちたり、駅の階段から転げ落ちたりした経験もあり、サービスの利用は欠かせない。

 だが、同法の施行で、利用者の所得に応じた負担から原則1割負担に代わり、月6千円の負担が発生した。

 移動支援の利用には時間制限もある。「時間を限られ、その上、費用負担まである。思い切って外出することさえできない」と嘆く。

 和解の成立について、車谷さんは「一歩前進」と評価する。しかし、障害者らが求めるような新制度が実施されるまでには、さらに議論を尽くす必要がある。

 車谷さんは「これからが大変。不安はあるが、もっと障害者のことを理解してもらい、私たちが望むような社会になってほしい」と祈っている。

 【障害者自立支援法】地域での自立と就労支援を目的に2006年施行。福祉サービスの利用料を所得に応じた負担から原則1割負担の「応益負担」へ転換したために批判が集まり、全国14地裁で障害者約70人が違憲訴訟を起こした。昨年の政権交代後に制度廃止が決まり、全国原告・弁護団と厚生労働省は協議の末、今年1月、13年8月までに新制度を実施することなどで合意。各地で順次、和解が成立している。

鎌倉市が公有地化交渉へ

マンション建設問題
 鎌倉市岡本のマンション開発で、鎌倉市が出した開発許可が県開発審査会の裁決で2度にわたって取り消された問題で、同市の松尾崇市長は13日、開発用地の公有地化について今後、開発業者側に土地所有企業を加えて、交渉して行く考えを明らかにした。この問題では、事業主の建設会社が12日に、裁決取り消しを求めた訴訟の上告断念を明らかにしている。

 同市や開発業者側によると、公有地化について、業者側の責任者と松尾市長が今月6日に面会。業者側が約2500平方メートルの開発用地を市に有償貸与して、将来的に市有地とする案を非公式に提示し、開発から撤退する可能性を示唆した。また、約13億円とされる投資の回収を希望したが、同市は高額過ぎると判断。用地の約4分の3を所有する都内のマンション分譲会社を含めて、交渉して行くことにした。

 一方、造成工事で壊された階段状市道についても、同市は公有地化に先行して、原状回復への協力を求める方針。原状回復すると、工事車両の出入りが困難になり、事実上、マンション開発ができなくなるため、建設反対の住民たちが原状回復を強く求めていた。松尾市長は「交渉で理解を得たいが、場合によっては、市による代執行も検討する」としている。

(2010年4月14日 読売新聞)

特集ワイド:不況しのび寄る学生街、早稲田 ♪せっけんカタカタ…再び、リアル神田川

70年代に大ヒットした「神田川」は早稲田大生の貧しく切ない青春の恋を歌った。そしていま、不況の影が学生街に忍び寄る。再び「4畳半フォーク」の時代? 早稲田かいわいを歩いた。【鈴木琢磨】

 夕暮れ、大隈講堂前は同好会のプラカードを持った学生であふれ返っていた。新歓コンパの季節である。晴れやかな顔、顔、顔……。うらやましく思いつつ、南門通りをぶらついていたら、不動産屋の物件案内に目が留まった。

 <和室4帖半(じょうはん) トイレ共同 銭湯3分 30000円>。へえ、4畳半か。社長に聞いてみる。「驚きました。地方から上京してきた新入生4人、とにかく安い部屋を、と迷うことなく4畳半風呂なしを選びました。これまで2~3年生が節約のため住み替えるケースはあっても、新入生はありませんでした。明らかに景気悪化の影響ですよ」

 都電荒川線早稲田駅そばの古びたビルにこの春、文化構想学部3年の喜屋武(きゃん)悠生(ゆうき)君(22)は越してきた。3階の9畳に3人で住む、いわゆるルームシェア。万年床の脇でインタビュー。「親に申し訳ないんです。僕、2浪して、年100万円の学費まで出してもらっている。月1万5000円の学生寮は期限がきたので。奨学金とウエーターなんかのバイトをしても家賃が3万5000円くらいにまで上がるので痛いです」。傍らで法学部5年生、自炊したカレーをかき込みつつ、黙々とパソコンに向かっている。就活? 「ハイ、頑張ってます!」

 喜屋武君のふるさとは沖縄の石垣島である。飛行機代が高すぎて入学以来、1度帰省したきり。父の義孝さん(62)は地元で土木作業をしている。電話して聞いた。「このご時世でしょ、公共事業がさっぱりダメでね。今日まで道路の植栽をやってたんですが、明日から仕事を探さないと。親ですから学費ぐらい出してやりたくて、女房もパートに行ってます。ブタ肉が安い時、大量に買って薫製にして送ってやるんです。ニンニクの漬物なんかと一緒に。親バカですかね。息子がちゃんと就職できればいいんですが」

     ■

 馬場下の本屋で早大探検部OB、高野秀行さん(43)の「ワセダ三畳青春記」(集英社文庫)を見つけた。03年の出版以来、ロングセラーが続く。正門から徒歩5分、路地裏のオンボロ木造2階建てアパート「野々村荘」を舞台にした青春小説。喜屋武君によれば、アパートは実在し、その3畳間にいまも早大生が住んでいるとか。恐る恐る訪ねてみると、笑顔の女性がいた。

 社会科学部2年の石井実樹さん(21)。「ずっと神奈川の茅ケ崎から通っていたんですが、遠くて。探検部の先輩が留学するので部屋が空いて、下見したら、気に入っちゃった。家賃、月1万4000円なんですよ! 高野さんの本も読んでいたし。お風呂がなくて、どーしよって思ったけど、銭湯もなかなか。回数券を買いました。夜遅くまで友達とわいわい騒いで、大家のおばちゃんに怒られたりするけど、居心地いいんです」

 見れば、ちゃぶ台にパソコン、音楽はアイポッド、それに折りたたみ自転車がぽつん。裸電球、ビールの空き瓶、シケモクの山……、かつての貧乏学生アパートとはずいぶん違う。自炊しないの? 「ほとんど外食。うち、兄も妹も私大に通っているので、親にあんまり負担かけられないんです。奨学金もらって、喫茶店でバイト。ここすっごく安いから食費、助かってます」

 貧乏サバイバル学生のカリスマになっている著者の高野さんはといえば、ちょっと戸惑った表情。「僕はバブルの余波のころ、学生だったんです。やりたい冒険ならいいけど、家賃にカネを使いたくない。シンプルな生活がしたかったんです。そんな思いで書いた本ですが、いまの学生にシンクロしてるみたいで。僕らの時代よりずっとカネないですから。そう、みんな礼儀正しくなりましたね。大人びて。就活、就活で、すり減らしちゃっているのかなあ」

 「野々村荘」1階の共同玄関、靴入れの上に本が無造作に並んでいる。通称「野々村文庫」。そこに五木寛之さんの懐かしい「青春の門」もあった。その「自立篇」の一節。

 <……左手の体育館のまえをすぎて階段を降りる手前に、二、三人の靴磨きがいた。驚いたことに、それはみんなこの大学の学生らしかった>

 ふるさと筑豊を後にした主人公、伊吹信介が上京し、あこがれの早大で目撃した光景がこれ。日本がまだ貧しかった1950年代。さすがにキャンパスに靴磨きはいなくなったが、閉塞(へいそく)感は増している。伊吹信介と同じ福岡出身、法学部3年の野口冬彦君(20)は個人ネットワーク「学費ZEROネット」のメンバーとして、学費負担軽減のための運動をしている。どこかしらひと時代昔のきまじめな雰囲気を漂わせている。コーヒーショップで会った。

 「正直、アンケートをしていても、学費は親に払ってもらっているからと、すぐには自分の問題としてとらえにくいようです。早稲田はブランドだし、小学校から塾に通ったり、ヒエラルキーの上位にいましたから。でも、だからこそ、僕らはもっと広く社会を見ないといけないでしょ。この間、成人式で帰省したら、中学の同級生はほとんど就職してるんです。この国の格差を彼らのほうがよく知っている。考えさせられました」

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 ほんのかすかながら、4畳半フォークのにおいがしてきた。同せいしているカップルがいる、とも耳にした。文化構想学部3年の渋谷泰平君(20)と、同級生の山内詩穂さん(20)。大学からほど近い1Kマンション。愛の巣にお邪魔すると、ぷんとカレーの香り。小さな本箱には見田宗介、柄谷行人、鷲田清一といった新書本、そして水玉模様のカバーのかかったベッド。

 「ここ、北海道から上京してきた彼女のマンションだったんです。そこに僕が転がり込みました。7万円の家賃は折半してます。奨学金とバイトでなんとか。すぐそこが神田川。せっけんカタカタ鳴らして銭湯行ってます。あこがれるんです。昭和の歌とか。2人にとって、かぐや姫の『神田川』は重要なファクターなんです」。渋谷君がそう上気して言えば、山内さん、顔をぽっと赤らめる。「2本ある蛍光灯を1本だけつけたり、せっせと節約しています」

 夜、2人の部屋から「神田川」の作詞をした喜多條忠さん(62)に電話した。「ハハハ、わが神田川のパターンは不変だね。応援してるよ!」

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.女子高生のワンピースの中を盗撮した容疑者逮捕/横浜

戸部署は10日、県迷惑防止条例違反(盗撮)の疑いで、横浜市戸塚区矢部町、会社員の容疑者(45)を現行犯逮捕した。

 逮捕容疑は、同日午後6時20分ごろ、JR横浜駅の東海道線ホームに上がる階段で、藤沢市在住の県立高校3年の女子生徒(17)のワンピースの中を、カメラ付き携帯電話で動画撮影した、としている。

 私服で警戒に当たっていた鉄道警察隊員が女性を探しているような同容疑者のそぶりを不審に思い、行動を確認していた。同署によると容疑を認めているという。

虐待昨夏から激化か 自宅から泣き声 寝屋川1歳死亡

 大阪府寝屋川市で、1歳10カ月の岸本瑠奈(るな)ちゃんが虐待を受けて死亡したとされる事件で、傷害致死容疑で逮捕された父親で無職の憲(あきら)(26)と母親の美杏(みき)(27)の両容疑者は、昨年夏から虐待を本格化させた可能性があることが、捜査関係者への取材でわかった。

 府警捜査1課によると、瑠奈ちゃんは1月27日に病院に運ばれ、あごの骨折のほか、ほおや唇、鼻、頭部、太ももや背中などに多数のあざやすり傷が見つかり、古いもので1~2カ月前の傷だった。捜査関係者によると、当時の自宅マンションの複数の近隣住民が「昨年夏から岸本容疑者宅で怒鳴り声と子どもが泣く声が激しくなった」と証言。今年に入ると、壁をドンドンたたく音や物が壊れるような音もするようになったという。

 府警の調べで、両容疑者の4人の娘のうち、ほかの3姉妹には目立った傷は確認されておらず、府警は瑠奈ちゃんだけが虐待され、昨年夏ごろからエスカレートしたとみて調べている。

 マンション所有者の女性は朝日新聞の取材に対し、「昨年9月、瑠奈ちゃんとみられるおむつをした女児が、4階の階段踊り場に座り込んで大声で泣いていた」と話した。女性は児童相談所などへの通報はしなかったといい、「今思えば、虐待を食い止めるチャンスだったかもしれない」と悔やんだ。

 一方、府警や寝屋川市によると、昨年7月に市の保健師が美杏容疑者と瑠奈ちゃんと面接した際、体重測定すると、平均(約10キロ)より少ない約7.5キロだった。今年1月の病院搬送時には6.2キロへと減っていた。

 搬送時に意識不明だった瑠奈ちゃんの口の中には食べ物が残っていた。両容疑者は府警に対して「肉まんを食べさせた」「前日までよく食べていた」などと説明していたが、実際にはあごを骨折して間もない時期で、満足に食べられない状態だったという。府警は、昨年夏以降、両容疑者が瑠奈ちゃんに食事を十分に与えなかった疑いもあるとみている。

タクさんとつかんだ!内海、開幕先発で3連勝!沢村に並んだ

◆阪神5―8巨人(8日・甲子園) 選手会長の内海が、7日にくも膜下出血で亡くなった木村拓也内野手守備走塁コーチ(享年37歳)へささげる熱投を見せた。阪神打線に粘られながらも5回を4失点にまとめ、07年以来自身2度目となる開幕戦先発からの3戦3勝。球団創設期にチームを支えた伝説の大エース・沢村栄治以来の偉業を達成した。主砲のラミレスも初回、5試合ぶりの4号3ラン。深い悲しみを糧に勝利を重ねた。

 伝説に並んだ。白星に魅入られた内海が開幕3連勝を飾った。「“勝った”というより、“勝たせてもらった”という感じです」。5回4失点の結果に笑顔はなかったが、勝利という事実には一定の満足感がこみ上げた。巨人の開幕投手では沢村栄治(36年秋、37年春)以来、史上2人目の2度目の開幕3戦3勝。エース道を歩む左腕が、伝説の大投手に続くロケットスタートを決めた。

 崩れなかった。5点リードの4回にマートンの3ランなどで4失点したが、同点は許さなかった。振り返れば、2回の粘りが大きかった。先頭の金本に死球を与えると、続く新井にはストレートの四球。制球難から背負った無死満塁の大ピンチで、後続を3者連続三振。イニングの中で修正する技術と精神力を披露した内海を、原監督は「本来の力からするとかけ離れていたが、粘り強く放った」と評価した。

 最愛の先輩と一緒に戦った。内海の帽子のひさしには、7日に亡くなった木村拓コーチの現役時代の背番号「0」が書き込まれていた。「僕にとってはタクさんが亡くなられて初めての試合。何としてもタクさんのために勝つ。そう思ってマウンドに上がりました」

 目を閉じれば、今も優しい笑顔が目に浮かぶ。木村拓コーチが現役だった昨季までは、二塁の守備位置からの明るいかけ声に何度も励まされた。「(調子が)いい時も悪い時も声をかけてくれて…。最高の先輩でした」。感謝を100球に込め、天国に白星を届けた。

 8奪三振で3勝目を挙げ、勝利数、奪三振(24)、勝率(10割)でリーグトップに立った。「今日は野手のみなさんがいっぱい打ってくれて、(救援の)久保さんにも助けられた。次は僕で勝てるように頑張りたい」。勝利こそが大黒柱の務め。エースへの階段を、内海はハイスピードで上がっていく。

 ◆伝説の大投手・沢村栄治 京都商(現京都学園)時代から速球派として鳴らし、甲子園にも3度出場。その後、中退して全日本入り。17歳だった1934年11月にはベーブ・ルースらを擁する大リーグ選抜を1失点に抑える好投を見せ、同年末にプロ入りした。そのスピードボールは150キロを楽に超えていたといわれ、巨人では1年目からエースとして活躍。3度のノーヒットノーランを達成するなど通算63勝22敗の成績を残したが、44年に27歳の若さで戦死。功績をたたえ、47年に「沢村賞」が創設され、背番号14は巨人の永久欠番となった。また、59年に第1回の野球殿堂入り。

多摩ニュータウン:市長選公約・再生 老朽化・高齢化、どう克服? /東京

◇リフォーム、補修に100万円超 初の一括建て替え、起爆剤に
 11日投開票の多摩市長選。立候補した新人3人とも人口の約7割を占める多摩ニュータウン(NT)の再生を公約の一つに掲げ、激しい舌戦を展開している。1971年に入居が始まった同NTは約40年が経過し、建物の老朽化や住民の高齢化が問題となっている。3月には「諏訪2丁目住宅」(640戸)管理組合が一括建て替えを同NTで初めて決定した。再生のモデルケースとして注目を集める中、同NTの現状を探った。【松本惇】

 ◇かつての羨望の的も
 建て替えが決まった諏訪2丁目住宅。5階建て全23棟すべての部屋の床面積は約50平方メートル、間取りは3DK。かつて羨望(せんぼう)の的だったNT住まいだが、現在は外から建物を眺めると、ところどころの部屋にカーテンがなく、生活感が感じられない。

 室内に入ると、床が腐り、風呂場のタイルの一部がはがれ落ちてコンクリートがむき出しになっている。力を入れて引かないと開かない玄関のドアもある。多くの高齢世帯は、不安を抱えながら毎日を過ごしている。

 79年から5階に住んでいる無職女性(66)は夫(68)と2人の年金生活。リフォームや水道管の補修などでこれまでに約100万円かかった。費用を抑えるために壁紙は自らの手で張り替えた。

 女性は昨年3月、持病の緑内障の影響で眼圧が上がり、動けない状態になった。救急隊を呼んだがエレベーターがないため隊員におぶわれて搬送された。

 「永山駅からは徒歩約10分ぐらいだが、坂道が多く、階段もきつい。私はまだ頑張れるけど、年が若くなるわけじゃないから……」と不安を口にする。建て替えは賛成だが「仮住まいの家賃がどうなるか」と心配事の種は尽きない。

 ◇「他に選択肢はない」
 80年から1階に住む西村昌純さん(72)も、床を張り替えるなどして「100万円じゃ下らない」額を部屋の補修にあててきた。現在は、書店でアルバイトをし、学童臨時職員の妻ひな子さん(61)の収入と年金で何とか暮らしてる。

 建て替えに賛成はしたものの「他に選択肢はない」と西村さん。ひな子さんは「この歳で引っ越して戻ってくるというのは、精神的にもつらく、病気になるかもしれない。元気に帰って来られればいいけど」と話す。

 市都市計画課によると、多摩NTの計画人口は34万人だが、現在は約21万人にとどまっている。隣接の八王子、町田、稲城の3市を含めたNT全体の65歳以上の老齢人口は昨年10月現在で15・3%。

 多摩市は19・97%と比率が高く、特に最も入居が早かった諏訪地区は24・89%、永山地区も23・96%を占める。市の推計では今後、急速に老齢人口が増え、19年には30・2%になると見込んでいる。

 同課の永尾俊文課長は「多摩ニュータウンは道路が整備されて緑も多く、環境は良い。実際、新築マンションへの入居は多く、人口は減っていない。肝心の住宅さえ良くなれば、若い世代の入居希望者も増えるはず。その意味でも、諏訪2丁目住宅の建て替えは起爆剤になる」と期待を寄せる。

 ◇20年かけ計画を決議
 再生の切り札とされる諏訪2丁目団地の建て替え計画だが、3月28日の管理組合の臨時総会で決議するまでに約20年の歳月を要した。

 新住宅は11階と14階建ての高層マンション計7棟とし、各部屋は床面積約40~90平方の約10種類にして、多様な世帯が入居できるようバリエーションを増やす。増加分の住戸を売却し事業費に充当することで住民の負担軽減を図るのが計画のポイント。

 保育所や診療所、カフェも併設し、周辺の団地を含めた利便性を高めた新しいまちづくりを目指す。

 加藤輝雄理事長(62)は「地域に開放されたまちづくりをやっていきたい」と語る。

   ◇  ◇  ◇

 完成予定は13年11月。今回の選挙で選ばれる新市長の手腕に寄せられる期待は大きい。

〔都内版〕

東京の鉄道遺産たどる

◇20年かけ元都立高校教師が上下本

 鉄道ファンの元都立高校教師、山田俊明さん(60)=八王子市=が、都内の鉄道に関する歴史的建造物を紹介する「東京の鉄道遺産 百四十年をあるく」を出版した。自ら訪ね歩いて約20年。東京駅丸の内駅舎や上野駅など代表的な建築物から、れんが造りの高架橋など見慣れた風景にとけ込んだものまで多岐にわたる。
(岩城興)

◆建築物から廃線跡まで

 山田さんは、子どものころ栃木県のJR宇都宮駅近くに住んでいた。「目の前の駅が全国につながっていた。鉄道が人や街どうしを結んでいると思うとロマンを感じた」。鉄道好きになり、1980年8月、30歳の時には国鉄(現JR)と私鉄の全線乗車を達成した。

 教師時代の専門は社会科(地理)。近年、近代化を支えた産業遺産が注目されるなか、産業考古学会に参加。自分の好きな鉄道分野を調べてみようと、約20年前から都内を歩き出した。

 著書は上巻が、明治から昭和初期ごろまでの「創業期」、下巻がそれ以降の「発展期」。鉄道創業の地、品川・新橋周辺や、多摩地区最初の鉄道・甲武鉄道(現中央線)、戦後の一時期に三鷹駅から北側に延びていた通称「武蔵野競技場線」の遺産などに触れる。立川―日野間の多摩川橋梁(きょう・りょう)(上り線)には、約120年前のれんが積み橋脚などが現在も使用されている。一方、廃線になった路線のレール跡が街中にあったり、敷石が寺の参道に使われていたりと、意外な形で残っていることも。

 山田さんのお勧めは東京メトロ銀座線。駅の出入り口一つをとってもデザインに特徴がある。浅草駅の吾妻橋近くの出入り口には「地下鉄出入口」の文字を図案化した飾り格子があり、稲荷町駅では柱の上部を階段状にせり出させるなど凝っている。

 全巻を通し、町歩きの一助にと各項目に地図を掲載。山田さん自身が40年以上前に撮った駅や蒸気機関車などの写真も使った。山田さんは「鉄道ファンでなくても、本を片手に歩き、東京の近代化に貢献した鉄道遺産の価値を知ってほしい。それが保存につながっていけば」と話している。

 四六判。各巻1400円(税別)。問い合わせは、けやき出版(立川市、042・525・9909)へ。

階段歩きメタボ防ごう

 階段は健康器具――。移動に階段を利用し、メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)の予防や解消を目指す「階段を歩こうキャンペーン」を県が始めた。職員にできるだけ階段を歩くよう呼び掛け、エレベーターの利用を抑えて経費を削減し、地球温暖化対策にもつなげる“一石三鳥”の狙いで、県健康増進室は市町や事業所にも参加も呼びかけている。

 2008年度、県職員のうち、肥満(BMI指数25以上)とされたのは男性24・9%、女性10・4%。キャンペーン開始直前に出勤時間帯に県庁内で調査したところ、正面玄関近くのエレベーター利用者は約100人、階段利用者は約200人だった。当面、このエレベーターの利用者を約50人に半減させるのが目標だ。

 体重60キロの人が1階から最上階の6階まで階段で上がった場合、約10キロ・カロリーを消費できるという。キャンペーンの始まった3月に、県庁の階段に「ちょっとした運動習慣がメタボを防ぐ」、「階段は無料で使える健康マシーン」などと書かれたステッカーが張られた。9月上旬までの予定だが、期間の延長も検討する。

 6階で勤務する体重約90キロの男性職員(43)は「階段を使うと息が上がり、足も張ってきついけど、いい運動になります」と話していた。

 担当の県健康増進室の背戸兼浩明主任主査(47)は「階段なら日常生活の中に手軽な運動として取り入れられる。職員が率先して生活習慣の改善を図りたい」と話している。

(2010年4月5日 読売新聞)

孤独死 『結』で防げ 所沢の県営団地 住人の作家模索

首都圏の公営住宅で独居高齢者の孤独死が深刻化する中、埼玉県所沢市並木の県営団地「所沢パークタウン武蔵野住宅」で孤独死予防に取り組む人がいる。同団地に住み、孤独死をテーマにした著書のあるノンフィクション作家大山真人さん(65)。「誰にも見守られずに死にたくない」。高齢者の居場所づくりなど、取材経験を基に、住民同士の共助の輪を築こうと試行錯誤を続ける。(さいたま支局・山内悠記子)

 二〇〇五年、団地の自治会役員だった大山さんが、玄関の郵便受けから室内をのぞくと、強い異臭がした。

 この部屋の六十代女性は夫の死後、四年間独り暮らし。直前に水道や電気代を滞納していたが、誰も異変に気付かず、死後三週間後に発見された。大山さんが訪ねたのは、さらにその一週間後。「妻が先に逝けば自分も同じ運命になる…」

 一九八二年に入居が始まった武蔵野住宅。現在、計六棟に約七百世帯が生活するが、七十歳以上の人は約百八十人に上る。九六年から団地に入居する大山さんも子育てを終え、今は妻良子さん(59)と二人暮らし。当時、近所付き合いもほとんどなく、女性の死に衝撃を受けた。

 「孤独死があってはいけない」。二〇〇七年七月から高齢化が進む都営戸山団地(東京都新宿区)などを取材に歩いた。従来の四階建てから高層に建て替えられた戸山団地は、玄関が階段の踊り場の左右に向き合う形から、廊下に沿って並ぶ構造に変わった。住民同士が顔を合わせる機会が減り、高齢化した住民の間で孤独死が増えていた。

 「人の顔が見えず、生きている感じがしない。無策では十年後には団地は死ぬ」。翌年四月、高齢化が進む団地の孤独死をテーマにした著書「団地が死んでいく」(平凡社新書)を出版し、住民同士が助け合う現代版の“結(ゆい)”づくりの大切さを訴えた。

 武蔵野住宅でも「寂しい」「存在感がこの世にない」と高齢者の悩みを聞いた。〇八年八月、高齢者が気軽に集えるサロン「幸福亭」を始めた。団地の集会所で週に一度、映画鑑賞会などを開き、住所や電話番号を共有し緊急時の連絡網も作った。

 独り暮らしの元会社員内田克巳さん(83)は「見守っている人がいるだけで癒やされ、明日への活力につながる」と話す。

 しかし、サロンの利用は一日平均八人、連絡網に参加したのも七人にとどまる。スタッフは二人から六人に増えたが、「誰の世話にもなりたくない」と拒否する人も多い。

 大山さんは「現実は非常に厳しく、いつまで続くか不安もあるが、地道に活動したい」と模索している。