さいたま 虐待で1歳重体

◇容疑の母親逮捕

 さいたま市内の自宅で1歳6カ月の長女に暴力を振るい、意識不明の重体にさせたとして、母親が12日、浦和西署に傷害容疑で逮捕された。市児童相談所は事件前日、別のけがで診察を受けた長女への虐待を疑った医師から相談を受けていたが、警察には通報していなかったという。

 同署によると、逮捕されたのは、同市桜区下大久保、無職清水恵容疑者(33)。10日夜、自宅で長女花音ちゃん(1)の頭を木柱に打ち付けるなどの暴行を加え、急性硬膜下血腫の大けがをさせた疑いがあり、「育児や離婚のストレスでイライラしていた」と容疑を認めているという。

 「子どもが柱に体をぶつけて意識がない」と119番通報。搬送先の市内の病院の医師が、花音ちゃんの腕にも以前のものとみられる骨折の跡があるとして、「虐待を受けている疑いがある」と同署に通報した。

 清水容疑者は4月に離婚。30代の無職男性と3人暮らしで、生活保護を申請していたという。

 市児童相談所によると、清水容疑者は事件前日の9日、「階段から落ちた」と花音ちゃんを市内の病院に連れて行った。医師は1カ月以上も前に骨折したとみられる跡があると判断し、不審に思って同日、同相談所へ連絡した。

 同相談所が調べたところ、清水容疑者が生活保護の受給申請をしており、13日、申請に必要な家庭内調査が予定されていたことが判明。その結果を待って対策をとることにした。清水容疑者自ら病院へ運んだという経緯も考慮したという。

 こうした対応の理由について、同相談所は、突然の家庭訪問で子どもの保護に失敗するのを避けるためだと説明する。「虐待の疑いがあるということで、すべて警察に通報するわけではない」(同相談所)という。

ブラジル:リオに968カ所「スラム街」 貧困解消が課題

<世の中ナビ ワイド NEWS NAVIGATOR 国際>

 ◇ブラジル・ルラ大統領「五輪開催をきっかけに生まれ変わってほしい」
 2016年の五輪開催都市がブラジルのリオデジャネイロに決まった。開催地選考の障害の一つとされたのが治安問題だったが、どうにかクリアした。リオ市では人口の4分の1近くが、犯罪多発地域とされる貧困地区「ファベーラ」で暮らす。政府や治安当局は7年後に向けて、貧困対策を充実させ、犯罪を減らしたい方針で、住民も「五輪開催は大歓迎」と期待している。【リオデジャネイロで庭田学】

 ファベーラはポルトガル語で「スラム街」の意味。リオ市内に968カ所あり、住民は市の人口約614万人のうち20~25%にあたると推計されている。海岸に臨む多くの丘にそれぞれ寄り合う形で点在している。

 ファベーラの実態を見るツアーで、バビロニア(人口約6000人)とシャペウマンゲイラ(同約4000人)の隣接地区を訪れた。高級ホテルやマンションが建ち並ぶコパカバーナ・ビーチを見下ろすバビロニア丘の中腹にある。

 迷路のように入り組んだ細い道と階段で、車が入り込む余地はない。レンガ作りの2階建ての家もあれば、土壁の古い平屋建てもある。2日前から断水し、丘のふもとの水くみ場で体を洗う住民がいた。

 ファベーラはリオの発展とともに拡大。仕事を求めて地方からやってきた人々が、土地を不法占拠して住み着いた。バビロニアでは1902年に最初の家が建てられた。安い賃金で建築現場に雇われ、今も建設労働者が多い。五輪を積極的に誘致したルラ大統領もファベーラ出身で元工員だ。

 36年間バビロニアに住む建設作業員、フランシスコさん(49)は「ルラ大統領は私たちと同じように貧しかったんだ。その彼のおかげで南米大陸初のオリンピックが開ける。ここにも大勢観光客が来てくれればいい」と手放しで喜ぶ。

 だが、バビロニアとシャペウマンゲイラ周辺では昨年、犯罪組織間の抗争による銃撃戦が発生。「危険」なイメージがつきまとう。犯罪組織はコカインなど麻薬売買とつながっている。

 ◇警官常駐の試み開始 犯罪組織一掃し治安向上へ
 また、リオ州全体での殺人被害者は、ここ数年微減傾向ながら、08年は5717人で、日本の07年の被害者531人の10倍以上。州人口10万人当たりの殺人発生率は約36人で、ブラジル平均25・3人を大きく上回る。

 リオ州の治安当局は昨年からファベーラの犯罪組織追放作戦を展開し、バビロニアとシャペウマンゲイラでも4カ月前から警察施設を建て警官を常駐させる試みを始めた。この治安対策には、日本の国際協力機構(JICA)の支援による「交番システム」普及プロジェクトが一役買い、日本式の地域密着型の防犯活動を実践している。

 バビロニアの主婦、シレイアさん(59)は「警察が入ってきたことで治安は良くなっている。住民は皆オリンピックに期待している。仕事が増えれば生活はもっと良くなると思う」と話す。

 ルラ大統領はファベーラを主とした低所得者に対する生活手当の充実や、最低賃金の引き上げなど貧困対策に努めてきた。貧困地区を改善し、安全な町づくりを進め、観光客を迎えることが五輪成功にもつながる。

 ルラ大統領は「自分の辞書からファベーラの言葉が消えてほしい。五輪開催をきっかけに誰もファベーラの悲しみを話題にしないようになり、新しい街に生まれ変わってほしい」と決意を語っている。

 ◇ブラジル社会の負の側面知る旅、NGOなど主催
 リオデジャネイロでファベーラ・ツアーが本格化したのは90年代前半から。現在は旅行業者や非政府組織(NGO)などが多くのツアーを主催している。

 住民の暮らしに触れるだけでなく、文化行事の見学や、エコツアーと組み合わせたものもある。

 ツアーは約3時間で1人50~80レアル(約2500~4000円)。料金の一部はファベーラ内の保育所や学校運営費に充てられるなど、地域に還元される。住民の生活向上にもつながるが、これまで観光客が目にしなかったブラジル社会の負の側面に触れてもらうことも狙いだ。

 記者を案内してくれたのは、ファベーラに4年前から暮らすドイツ人女性、イザベル・エルトマンさん(34)。イザベルさんは「外の市民は、ファベーラの住民がみんな犯罪者だと思い込み、怖がって足を踏み入れない。そんな偏見をなくす狙いもある」と話している。

身延高校が美術館構想展

身延高は12日から、校舎を博物館に見立てた「ライフミュージアム構想展」を富士北稜高と共催で開く。18日までの期間中、校舎を一般開放し、両高の生徒が手掛けた絵画やエコグッズなど約400点を展示。ワークショップや講演会といった多彩なイベントを繰り広げる。
 身延高は3年前から、美術教育の振興や「地域に開かれた学校」を目指し、学校を展覧会場にする学校美術館構想展を実施。今年は富士北稜高も加わり、新たに家庭科部門を創設し、美術館から博物館に“衣替え”した。校舎の廊下や階段、テラスを展示スペースとして活用。美術選択と美術部の生徒による世界の名画を模写した油絵や、発泡スチロールや木材を素材にした立体芸術作品などを展示する。
 期間中の休日は、来場者が生徒とともに、エコキャンドル制作や竹を編んで繭玉を作るワークショップを開催。昭和町在住の現代美術作家、坂本泉さんの作品展や13、16の両日にトークショーも行う。
 このほか、家庭科選択と家庭クラブの生徒が廃食油を原料に作ったエコせっけんやエコキャンドル、手すき和紙などを展示。富士北稜高生徒作のランチョンマットやバッグ、研究レポートも並ぶ。
 有識者による講演会などもあり、身延高で16日に「地域と環境を考える」と題した講演会を開催。富士北稜高では、15日に人生設計を学ぶライフプランニング講座、23日にワークショップ形式の講演会「児童文化と折り紙」を開く。いずれも一般参加可能。
 身延高美術担当の石田泰道教諭(41)は「学校が博物館として文化交流の拠点となる。芸術作品に触れてほしい」と話している。

「だんな怖い、連れて逃げて!」とでまかせ、強姦免れる

マンションで女性に性的暴行を加えようとしたなどとして、大阪府警は7日、大阪市平野区長吉六反5丁目、無職鎌田公一容疑者(43)=強盗強姦(ごうかん)などの罪で起訴=を2件の強盗強姦未遂などの疑いで再逮捕し、発表した。

 捜査1課によると、鎌田容疑者は06年1月、当時20代の女性の後をつけて大阪市内のマンションに侵入。「騒ぐな、殺すぞ」と脅して非常階段に連れて行き、暴行して金を奪おうとした疑いがある。女性が「(私の)だんなが怖い人。連れて逃げてほしい」とでまかせを言うと、鎌田容疑者は1人で逃げ、女性は性的被害を免れたという。

 また同3月には、市内の別のマンションの一室で、当時20代の住人女性から現金約9千円を奪った後、暴行しようとした疑いがもたれている。この時は女性の携帯電話が突然鳴ったため、鎌田容疑者は暴行をあきらめて逃げた。

 鎌田容疑者は府警の調べに「現金を奪った記憶はない」と容疑の一部を否認しているという。

老朽化団地、丸ごと改造 ひばりが丘団地

築50年の集合住宅を「丸ごと」改造し、高齢者向け住宅や二世帯住宅などに「変身」させる実験に、都市再生機構(UR都市機構、本社・横浜市)が取り組んでいる。東久留米市のひばりが丘団地での工事が終わり、13日から一般に公開される。(松村康史)

 URによると、全国でURが管理する賃貸住宅は約76万戸。その6割は昭和40~50年代前半に造られた団地で、老朽化が著しい。現在、各地で高層住宅への建て替えを進め、空き地を民間に売却するなどしているが、今回は住棟を壊さないで「再生」させるための実験に取り組んだ。

 「ルネッサンス計画1」と名付け、ひばりが丘団地で取り壊す予定の3棟を「実験台」にした。少子高齢化や環境への配慮など、多様なニーズに応える住宅に造りかえるねらいで、UR都市住宅技術研究所(八王子市)が中心となり、竹中工務店と東京ガスが協力した。

 3棟はいずれも、1959年に建てられた鉄筋コンクリートの4階建て。階段を軸として両側に住戸が配置された「階段室型」とよばれる様式で、各戸は2DK、約35平方メートルだ。

 うち1棟は階段室をつぶしてエレベーターを設置、各階に共用廊下を新設した。住戸内も段差をなくすなどバリアフリー化して、高齢者向けに改造した。

 ユニークなのは複数の住戸をつないで一体的に改修した事例。(1)同じ階の住戸間の壁を壊して広くする(2)上下の住戸を階段でつなぎメゾネット化する、などの方法で、高齢者の2人暮らしや2世帯同居、子育て世帯、単身者やDINKS向けといったさまざまな例を提示している。

 ベランダのフェンスのパネルに集めた太陽熱で湯を沸かす給湯暖房機を備えた「環境負荷低減住宅」のモデルルームもある。

 改造にかかった費用は、古い住棟を壊して新築する場合の8~9割。コストを抑えることが課題の一つという。

 URでは「再生技術を現在の団地居住者向けの建て替え計画に組み入れることは難しい」としており、主に新たな事業に活用していく方針。近く、古い住棟を民間業者に売却・賃貸し、新しい集合住宅や子育て施設、高齢者施設に変身させる事業を始める。

 現地見学は完全予約制で、10月中はほぼ満員。11月から来年3月まで、毎週火・木曜に公開する。ホームページ(http://www.ur-net.go.jp/rd/rn1)から申し込む。

基準強化のアスベストを県有41施設79カ所で使用確認

(10月7日 05:00)
 県環境森林部は6日、2008年度に実施した県有施設調査で、含有率0・1%を超えるアスベストが41施設79カ所で確認されたと発表した。いずれも飛散などの恐れがない状況だが、9月補正予算案に28施設47カ所分の処理費を計上するなど「県民の安全のため速やかに対応を講じる」としている。

 アスベストによる健康被害は2005年に全国的な社会問題となった。当時の規制基準は「含有率1%超」だったが、06年度「0・1%超」に強化。07年度には調査対象種類が6種類に倍増した。

 県は05年度に全施設の調査を済ませたが、新基準を受けて08年度に該当可能性のある124施設を再調査。その結果、県立学校14校や県営の12住宅など計41施設の階段室や機械室、倉庫など79カ所が該当した。

 施設の種類や建物の劣化状況などを判断した結果、早急な対策が求められる個所はなかった。今後、除去や囲い込み、解体など何らかの措置を講じる方針。

 本年度当初予算などでは県営住宅など6施設10カ所分の処理費を計上。県立校全校分などを盛り込んだ9月補正予算と合わせ、本年度中に34施設57カ所の処理が終わる見通し。残る7施設22カ所も「できるだけ速やかに対策を講じる」という。

 05年度に679施設で実施した調査では25施設60カ所に1%超のアスベストを確認。08年度末までに全カ所の対策が完了している。

重要文化財角屋 /京都

島原(下京区)の「角屋(すみや)」を楽しんできました。と、言っても太夫をお座敷に呼んだわけではありません。重要文化財の角屋に併設されている「角屋もてなしの文化美術館」の企画展「重文角屋の附(つけたり)指定品と非公開資料展」(12月15日まで開催。月曜日休館)のマスコミ向け説明会でのことです。

 島原に花街が生まれたのは寛永18(1641)年。角屋は太夫や芸妓(げいこ)を抱えない揚屋(あげや)であり、太夫らを置屋(おきや)から呼んで宴会を催す場、今でいう料亭でした。近世の揚屋建築(民家に書院造りや数寄屋造りを取り入れた建造物)として唯一残り、1952年に重文指定。建物に付随するふすまや古文書などは重文の附として追加指定され、建物は85年まで宴会場として使われていました。

 同美術館を運営する角屋保存会理事長で角屋中川家15世の中川清生(きよお)さん(61)から説明を聞きました。初公開の一つに延宝期(1673~81年)の「板絵図」(重文)があります。松の板の表裏に角屋1階の平面図と断面図が描かれています。角屋は延宝期と天明期(1781~89年)に大きく拡張、増築しており、平面図は天明期前の建物とほぼ一致しているそうです。ただし、絵と言われなければ分からないほどに黒ずんでいます。

 おもしろいなあと思ったのは、この板絵図は台所の階段下の物置から見つかったということです。一時は棚板として使われていたようです。見つかったのは戦後です。誰も値打ちのある絵だとは気付いていなかったのでしょう。中川さんも「どうしてこんなところにあったのか不思議で。物を大切にする気持ちがあったからこそ残ったのでしょうね」と話されました。

 江戸中期の画家、山田峨山(がざん)の「馬図」も初公開です。馬はもともと衝立(ついたて)に描かれた絵でした。当時の角屋を描いた俯瞰(ふかん)図の中にある衝立に小さく馬が描かれていることからも確認できます。ところが、江戸後期の画家が描いた布袋(ほてい)さんと取り替えられ、外された馬図は捨てられはしなかったが、表装されることもなく残されたそうです。

 「もっとあるんでしょうね」と向けると、「倉庫の中を全部見たわけではないので」ということでした。真っ黒になった棚板までチェックすれば……。昔から「京都人はケチ」とよその人から言われてきましたが、「もったいない」精神が文化財を守り、残してきたと言えますから、ケチも文化、褒め言葉です。【京都支局長・北出昭】

10月1日DATV開局記念レッドカーペット・セレモニーにペ・ヨンジュンが登場!

10月1日、アジアエンターテイメント専門チャンネル「DATV(Discover Asia-enta! TeleVision)」の開局を記念し、華やかにレッドカーペット・セレモニーがおこなわれた。
セレモニーには、ペ・ヨンジュンをはじめ、美のカリスマIKKO、上戸彩、石田純一、など国内外から実にバラエティに富んだ総勢36名のゲストが登場するということで、大きな関心が寄せられた。

なかでもひときわ注目されたのは、ペ・ヨンジュン。
彼は、前日までの二日間、東京ドームで「アニメ冬のソナタイベント」、「韓国の美をたどる旅出版イベント」を連日開催し、それぞれ約4万5千もの多くの人を動員し、感動の渦にまきこんだ。
この日、セレモニーの開始は17時。しかし午後12時をまわる頃には、会場である東京都品川区の「クリスタルヨットクラブ」の周りには多くの人が。そのほとんどがペ・ヨンジュンの登場を待ちわびる家族(ファン)のよう。
実はこのセレモニーには、DATV加入者の中から抽選で300名が参加できるという特典があった。しかし、なんと特典申込者は50万人!惜しくも抽選にもれ、せめて近くで雰囲気だけでも感じたいという約1000人が会場外に集まった。
セレモニーが始まり、まばゆいライトの中、まず登場したのは司会を務める中山秀征と紫のロングドレスに身をつつんだ眞鍋かをり。司会という大役にやや緊張しながらも期待にあふれた明るい笑顔でコメントを述べた。
そして韓国から人気急上昇中のグループ・超新星が6人そろって登場し、さわやかな笑顔を振りまいてポーズを決めた。
韓国から、ペ・ヨンジュンの「韓国の美をたどる旅出版イベント」に出演した韓服デザイナーのイ・ヒョジェさんが登場。ご自身がデザインしたスカートが印象的で目をひいた。

「アニメ冬のソナタイベント」に登場した、サンヒョク役の声優をつとめるカン・ヨファンと、チェリン役のイ・セナもそろって登場。二人ともすらりとしたスタイルのよさが目をひき、特に薄いベージュのミニスカートワンピースで決めたイ・セナの脚線美には記者からも思わず溜息が。「アニメ冬のソナタ」は日本で初めてDATVが17日から放送し最大の目玉番組となっている。
SG・wannabe+は、足を負傷中のジノを支えて3人で登場。痛々しい姿ながら、元気に3人で挨拶した。
そしてIKKOが登場すると、華やかさと存在感にカメラマンと記者から思わず「おお~!」と声があがった。IKKOはサービス精神旺盛に「どんだけ~」「あげあげ~」を連発して披露し、場を大いに盛り上げた。
台湾からはDATVで10月3日からスタートするドラマ「ハートに命中100%」で大人気のイーサン・ルァンが登場。スラリとした長身な姿とすっきりとしたきれいな目が印象的。素敵な笑顔でこたえた。
先日婚約を発表した石田純一が登場すると、カメラマンや記者からも「おめでとうございます」の声が。照れながらもカメラマンの要望にこたえ何度もVサインのポーズをとった。
そして、幸運にも当選した300人が花道をつくるレッドカーペット会場からひときわ大きな歓声が沸き起こった。待ちかねたペ・ヨンジュンの登場!!
花道をぬけると今度はカメラのフラッシュの嵐が。カメラマンからの「ヨンジュンシー!」と飛び交う呼び掛けの中、「カン・ジュンサン!」の掛け声に、ペ・ヨンジュンも思わず噴き出して笑ってしまった。
体調が万全ではない中でのイベントが続いたため、心配する声も多かったが、イベントの時よりもいくらか顔色も良くなった様子。二日間、家族からの愛情をたっぷりと受けとって元気に回復しつつあるように見えた。
会場外からの家族からも掛け声があがる中、記者の質問に大きな声で一生懸命にこたえる姿に、常に変わらないペ・ヨンジュンの誠実さがうかがえた。
ペ・ヨンジュンは「皆さまお忙しい中お越しいただきありがとうございます。これからも頑張ってまいりますので、その姿を作品を通して見ていただければと思います。」と挨拶した。
会場へ向かおうと階段を上がると、外で待っていた家族からの声援が。ペ・ヨンジュンは嬉しそうに振り返り、スタッフに促されるまで、ずっと家族に手を振り続けてこたえていた。
その後も、会場を眺めることができる大きな橋の上には一列にならぶ家族の姿が。明るく光るパーティー会場をながめ、聞こえてくる歌声に耳を傾け、それぞれがペ・ヨンジュンがそこにいる、という嬉しさを感じたようだ。

10月1日に開局したDATVは、株式会社デジタルアドベンチャーが運営し、”アジアの魅力を発見”をキャッチフレーズに、韓国や台湾などのドラマや映画放送。
韓国をはじめとしたスターイベント特番、オリジナル情報番組、バラエティ番組なども放送する。
アニメ「冬のソナタ」は10月17日(土)午後0:00スタート他。
DATV(スカパー!750ch)
公式ホームページ http://datv.jp/

セクシー組長・倖田來未、台湾っ子メロメロに

【台北3日】歌手、倖田來未(26)が国立台湾大学総合体育館で、初の単独海外公演を行った。2000年12月のメジャーデビューから約9年にして念願の単独上陸。日本語での大合唱や字幕通訳を交えたトークなど現地ファン約5000人と一体となり、倖田は「8年ぐらい前から台湾に来たいと思っていた。みんなに会いたいって思ってたら夢がかなった。あきらめないで本当に良かった…」と感激のあまり号泣した。

 涙でかすんでステージが見えない。力強い拍手と“くぅちゃんコール”が響き渡るアンコール。ファンの温かい声援に「夢をかなえるってこういうことなのかと感じた1日。改めて皆さんと会えて本当に幸せ者です」と感極まり、涙。そして「音楽って国境を越えられるとすごくすごく感じました。ありがとう!!」と感激の表情をみせた。

 単独海外公演は倖田にとって悲願だった。これまで米国で4回、韓国で2回、音楽イベントに出演。各国の歌手と肩を並べて歌ううちに、本格海外進出への思いは強固に。また、8年前に台湾の俳優で歌手、ショウ・ルオ(30)とフジテレビのCS番組「亜州進行式」で一緒に司会を務めたことで、台湾公演への思いがより強まっただけに、「何てみんなにお礼を言えばいいか分からない」と感謝。夢の舞台に立てる喜びをかみしめた。

 台湾では04年の「キューティーハニー」の発売を機に、知名度が急上昇。來未とファンクラブ「倖田組」をかけた「組長」との愛称で、“性感”(セクシー)な歌手として親しまれており、06年にショウとのミュージックビデオでの共演で人気は不動のものとなった。

 記念公演とあってステージはサプライズの連続だった。圧巻は怒濤のサビメドレー。「BUT」「愛のうた」など15曲のサビを一気に熱唱。激しく腰をくねらせて男性ダンサーと絡むセクシーダンスで会場を悩殺し、「Twinkle」ではショウがゲスト出演。同曲を英語でライブ初共演し、「いつか台湾で共演しましょう」と指切りすると会場は歓喜の渦に。電飾ドレスなど9変化でも魅せ、会場は21曲ともに大歓声で沸いた。

 初訪台した1日には空港に約150人のファンがお出迎え。翌日にはその様子を地元新聞4紙が芸能面のトップで報じる注目度の高さだった。

 最後は歌姫にファンが惜しみない拍手。新たな一歩を踏み出した倖田は「必ず戻ってきます」と再会を約束した。

 デビュー10周年を前に、日本の歌姫がアジアの歌姫へと、またひとつ階段を上った。

[2009年10月4日8時0分]

代役でも全力の根曳

◇黒衣に徹して船回し練習
 《油屋町・坂口実さん》

 9月12日、長崎市油屋町で理容店を経営する坂口実さん(42)は、声を振り絞って根曳(ねびき)歌を歌っていた。くんちで奉納する川船の練習だ。船の枠を強くつかみ続ける。手の皮はめくれ上がってから治ったばかりだ。それにもかまわず、思い切り力を込めて船を回した。「今日が最後の船回し」。そう思うと、気合が入った。

 坂口さんは根曳衆ではない。どうしても練習に来られない根曳の代わりに曳(ひ)いているだけだ。代理で練習に参加した回数は9回。「『9回根曳』ですよ」と笑う。

 今年2月、坂口さんは父の光義さんを亡くした。店や家庭が慌ただしくなり、くんちに出られる状態ではなかった。やむなく辞退した。

 6月ごろに落ち着いて来ると、根曳をしたくなった。だが、4月に根曳の16人は決定している。今さら出ることはできなかった。

 代わりにくんちを支えることに専念した。練習のほとんどに顔を出し、お茶を配り、準備、片づけ、交通整理をした。練習に都合がつかない根曳の代役は、喜んで引き受けた。

 「本当はめちゃくちゃ出たい」。本音がもれる。前回の02年は根曳を務めた。本番3日間を終えた時、大泣きした。「年を取ってから、皆で達成感を味わうことはなかなかできない。踊町に生まれて良かった」

 以来、長崎市南山手町の長崎伝統芸能館に展示してある川船を何度も見に出かけた。「あの傷は俺が付けた。あのテープの跡もおれだ」とガラス越しに眺めた。家でも自分が出ていたころのビデオを繰り返し見ていた。

 9月16日、同市鍛冶屋町の八坂神社で油屋町の川船が最後の練習をした。神社の階段や境内には100人を超える観客が集まり「モッテコーイ!」と何度も何度も声がかかった。坂口さんも、階段のど真ん中から声がかれるほど応援した。「慌てて着たら間違えた」と、02年の油屋町のTシャツを着ていた。

 最後の練習は終わった。「感動のラストでしたね。ばっちりでした」。根曳ではなくても、皆が悔いのない奉納が出来るように何でもする。くんち初日の7日は、旗を持って川船の庭先回りを手伝う予定だ。